東横線都立大学駅から駒沢方向へ。小さな商店街の終わりにある、パリのパティスリーのような外観の店が「アディクト オ シュクル」です。オーナーパティシエの石井英美さんは、2014年、42歳のときにこの店をオープンさせました。事務職からパティシエを目指して転職したのは、30歳目前。人よりすこし遅れて見つけた夢に、石井さんはどう向き合って、実現させたのでしょうか。
石井さんは、2人姉妹の妹として生まれました。実家は、八王子で保育園を開業。学生時代は、漠然と、その保育園を手伝う気でいたといいます。高校卒業後は4年制大学へ。「やりたいことはないけど、人と同じじゃ物足りない。そんな性格でした。大学では、文化人類学を学んで、病や死の意味付けや偏見、差別を人間はどう生み出すのかなどを学んでいました。『私は、精神の自由さを求める』なんて、考えていたことを覚えています(笑)」。
卒業後は、アパレル会社に就職。実家の経営を継ぐうえでの社会経験のためでした。2年でその会社を辞め、計画通り実家の保育園に就職。仕事は、事務から経理、ときには保育園の発行物の制作まで幅広いものだったといいます。
やがて、自分の時間に余裕が生まれると石井さんは、プロが教えるお菓子教室に通いはじめます。「もともと、お菓子を作るのは好きだったし、父も料理好きで、私たちが小さい頃はロールパンなんかを作ってくれたりもしていて、料理が身近にある家庭だったんだと思います」
きれいに焼きあがったスポンジを、プロの料理人にほめてもらえるとうれしかった。私にも何かできるかも…。パティシエになりたいという思いが、日に日に強くなっていきます。
しかし、石井さんは、その思いを両親には話せずにいました。姉妹で保育園を継いで欲しいと両親は思っているはず。まわりからは家族経営で安心できるという目でも見られている。「家族を裏切ってしまうんじゃないか、家族の輪が壊れてしまうんじゃないか。そんなふうに考えていました」。しかし、悩んでいても時間は過ぎていきます。今度は「30歳への危機感」が、石井さんを苦しめます。石井さんは、こっそり国立にある料理専門学校エコール辻に社会人枠の願書を出し、夢への準備を始めます。「当時は、実家に住んでいたので学校の資料とかが届いていました。両親は気付いたでしょうね」。エコール辻の社会人からの入学の枠は少なかったのですが、石井さんは見事に受かり、いよいよ両親に話すときになりました。
友人たちにも「保育園を辞めてパティシエになりたい」と夢を話していたが、ほとんどが反対の意見だったといいます。