軽い気持ちで始めたパン作りがライフワークに
大学卒業後の習い事が製パンとの出合い。高橋雅子さんが大学を卒業した90年代は、家庭でパンを作るのはまだ一般的ではありませんでした。
「母が料理を教えていて、父もかなりのグルメ。だから私も食べ物に興味がありました。でも、母と同じ料理の道には進みたくなくて、それならパンかお菓子かなとパン教室に体験入学をし、パンが焼けるって、かっこいいなぁとそれで決めました(笑)。当時はお菓子よりもパン教室の方が少なかったんです」
大手料理教室の製パンコースで基礎から学び、2年後には師範を取得。その後、通っていたスクールでアシスタントに。順調に製パンの知識とキャリアを積み、次は自らも講師になるというタイミングで、当時の日本では主流だったふわっとやわらかいパンではなく、バゲットやカンパーニュなどのハード系パンが作りたいと、東京・代官山「ル・コルドン・ブルー東京校」に入学。フランスの食文化に触れるうちにワインへの興味がわき、ワインも学び始めて日本ソムリエ協会・ワインアドバイザーの資格も取得します。結婚したのもその頃でした。
「初めてレッスンしたのは、パンではなくワイン。定年後に時間を持て余しているという義理の母の友人たちにワインを教えるように頼まれ、教え始めたらこれがなかなかおもしろくて。自分には教えるという仕事は向いているのかもって気づきました」
こんな教室があったらいいなを形に
こうしてワイン教室を始めますが、2~3年後に息子さんを妊娠し、アルコールが飲めなくなったことからやむなく教室は休止に。出産後、パン教室として再スタートを切ることになります。パンに限らず、料理やワインなどにも携わっていたため、『わいんのある12ヶ月』という教室名をそのまま採用。今度は知人に教えるのではなく、本格的なパン教室として広く生徒を募集し始めます。
「どうやって生徒を集めようかと思ったとき、自分が行きたいのはどういう教室だろうって考えました。それは駅前でビラを配ったり、ポストにチラシが入っていたりする教室ではなくて、みんなが行きたいけれど生徒がいっぱいで入れない教室。そんな風に思われる料理教室だったらどんなことをするだろう?という基準で、自分の教室作りを進めていきました」
ご実家では事業を営んでいて、お父さまから仕事の話を聞いて育ったという高橋さんにとって、ビジネスは遠い世界のものではなかったようです。
「良くしていくためのアイデアを出すのが大好きなんです。たとえば、レッスン後の試食でパンのほかに料理もお出しして、ランチをとっていただいたのも自分が行きたい教室だったらと考えたことのひとつ。今では多くのパン教室でそうしていると思いますが、その頃はそれが珍しかった。自分が行きたい教室はみんなが行きたい教室のはずですし、周りの10人の意見を聞くのではなく、まずは自分の考えを明確にするのがブレないコツだと思います」
こうして、高橋さんのパン教室は当時全盛だったブログなどを通じて爆発的の評判となり、全国から生徒が通う日本一予約がとれないパン教室に。今ではなんと香港からもレギュラーレッスンに通っている生徒がいるほど、正真正銘の人気パン教室になっています。
ピンチが生んだ、長く愛される初のレシピ本
「自家製酵母」と「少しのイーストで長時間発酵」をテーマにしたレッスンを行い、順調に軌道にのったパン教室ですが、予期せぬ出来事が起こります。それは、高橋さんの自家製酵母のレシピでパン教室を始める生徒の存在。高橋さんがそのレシピは使わないで欲しいとお願いをしても、なかなか聞き入れてもらえない。
あるとき、友人との旅行先で、人気が全国区になったご当地名物の調味料を購入した高橋さん。その後に訪れた別の食料品店でそれとよく似た商品を見つけ、「あそこの調味料に似てない?」と話していたら、店主から「うちが先に作ったんだ!」と指摘され、ハッとします。
「真相はわからないけれど、もしかしたらご主人の言う通りなのかもしれない。真似をした方が有名になって、そちらが売れてしまうってことはあるうるのかもって。それと同じで、もしも私のレシピで教室をしている人の方が先に出版社の目に留まり、そのレシピ本が出版されたとしたら、その人のレシピとして世の中に定着してしまうでしょう。そうなる前に、自分のレシピとして世の中に出したい、レシピ本を出したいと思うようになりました」
思い立ったら即行動の高橋さん。教室を始めたときと同じように、レシピ本はどうやったら出せるんだろう?とリサーチを開始します。
まずは書店に足を運び、自家製酵母パンのレシピ本に興味を持ってもらえそうな出版社をピックアップ。そして、人生初の企画書作りをしました。右も左もわからないながらもなんとか形にして、広告代理店勤務の知人に見せてアドバイスをもらいました。
「出版社に提出する企画書と併せて、自分が作りたい本をイメージした小冊子を作りました。一般の人が使うのは珍しかった一眼レフカメラを買い、小さな息子を原っぱに連れて行って、パンパクッと食べている写真を撮ったりして(笑)。できた資料を5社に送ったらそのうち3社から連絡が来て、一番早く出版が決まったパルコ出版にお世話になることにしました。この編集さんとの出会いは大きかったですね」
教室を始めるときに自分が行きたい教室を思い描いたように、初めての本作りでも自分が読みたい本は何かを徹底的に考え抜いたという高橋さん。それまでの自家製酵母の本のように、難しかったりややこしかったりするのを一切排除して、わかりやすいレシピ本を目指します。
「毎日ご飯を炊くように家庭でもパン作りをしてほしくて、“気軽に” “手軽に”作れることを最優先にしました。より簡単にする、手順を減らす、洗い物を減らす、分量をキリのいい数字にする。お手本にしたのは学生が使う参考書で、説明は簡潔にして、写真でポイントをわかりやすく見せるようにしました」
こうして、2006年4月に初の著書『「自家製酵母」のパン教室―こんなに簡単だったんだ!マイペースで楽しく続けられる』(パルコ出版)を出版。発売から10年以上が経過した今も増刷されるロングセラーとなっています。