料理家で「HITOTEMA」のオーナーである谷尻直子さん。ファッション業界からの転身、結婚、出産を経て、週に1度、金曜日の夜だけオープンする完全予約制のレストラン「HITOTEMA」をオープンして4年。「現代版のおふくろ料理」をコンセプトに掲げるお店について、そして、初の著書『HITOTEMAのひとてま』への思いを聞きました。
色を抑えた空間で、家庭料理を供する
富ヶ谷の交差点近く、山手通り沿いに現れる「HITOTEMA」の空間は「グレーをキーワードに構成しています。12席が並ぶ大テーブルに、壁も全てモルタルで塗り、そこに対比するように古い道具を置いています。器も色味を抑えて、白と黒のグラデーションに染付のブルーを加えて構成しています」(谷尻さん)
大テーブルの片側にシンクと作業スペース。客席と向かい合う、谷尻さんの定位置です。
無機質とも言えるソリッドな空間は、建築家であり夫である谷尻誠さんに相談しながら作っていったそうです。「お店を作るうえで決めなければならないことって本当にたくさんあるんですよね。自分の持っているイメージを形にするには、諦めること、不便も受け入れて楽しむくらいの気持ちも必要だと思います。このテーブルも便利な点ばかりではないんですよ。モルタルなので使っているうちにクラックが起こりますし、幅が1.5メートルのカウンターのこちら側からお料理をサーブするにはギリギリ手が届かない。それでもお客様が手を伸ばしてくださって、コミュニケーションのきっかけが作れるのでよかったな、とポジティブに変換しています」
古い什器が空間にしっとりと馴染みます。端正な顔つきの器は、古食器から現代の作家ものまで様々です。
初めての料理本が完成するまで
2015年5月に「HITOTEMA」をスタートして4年。2019年には初の著書『HITOTEMAのひとてま』を上梓した谷尻さん。「週に1度10名ほどのお客様がいらっしゃって、月に40名、1年で500名。お店を始めて2年経った頃、1000人以上の方たちに自分の料理を召し上がっていただいたんだな、と気づき、これまでのレシピをまとめてみたいと思いました。出版のめどは全く立っていなかったのですが、まずはA4の紙3枚にラフスケッチを描き出し、表紙のイメージや本の誂え、メニューは60種くらいで、調味料や金継ぎの風景も載せたい、とイメージを膨らませていき、テストシュートも始めました」
谷尻さんの初の著書『HITOTEMAのひとてま』(主婦の友社刊)。色味を抑えた器と空間に食材が映えます。
企画提案書を作る前に、料理家やライター、雑誌の編集を生業にしている友人知人に「本を出したい」と相談をしてみると、それぞれが参考になりそうな書籍を挙げてくれたそうです。「料理本だけでなくて、ライフスタイル本やエッセイもありました。教えてもらった本を全て購入して、これは好き、これは自分とは違いそうだ、この言葉は自分の想いに近いな、と、読みながら選択肢を具体的にギュギュっと狭めていきました。クリエイティブディレクターをしている友人を美味しいご飯に誘ってまた相談。友人からまたその友人へとご縁をつないでいただいて、幸運にも出版社の担当さんと知り合うことができ、出版の道筋が見えてきました」
台割と呼ばれる本の設計図です。撮影時に撮ったポラを貼りつけてイメージを共有します。
ハードカバーのA4変形版で160ページ。バイリンガル仕様の美しい1冊を作るうえでは、谷尻さんの造本へのこだわりが不可欠でした。「アートディレクターを務めてくださった〈ナカムラグラフ〉の中村圭介さんに、なぜこの本がハードカバーでなければいけないのかを訊ねられました。写真集のような、アートブックのような料理本にしたい。キッチンだけでなく、リビングのソファの上に、ホテルのラウンジに、いずれはギャラリーにも置かれるような本を作りたい。企画提案書も見せながら、ここは譲れないという思いを伝えました」