
パティシエになりたいと願って3年。勘当覚悟で両親に話すと、「すでに自分で決めていることなんでしょ」と理解してくれました。しかし、そのときの母の寂しそうな顔が、今も忘れられないと石井さんは言います。最初で最後の反抗でした。
エコール辻には28歳で入学。1年後、フランス・リヨンにある系列校に留学します。留学中は、アンジェの「パティスリー・ル・トリアノン」(現在は閉店)でも研修することができました。1年の勉強期間を終えて帰ってきた石井さんは30歳目前。いよいよ、パティシエとして仕事を始めます。
最初は、吉祥寺の「アテスウェイ」、渋谷の「ヴィロン」、そして2008年に日本に初上陸したパリの老舗菓子店「ラデュレ」にオープニングから携わりました。ヴィロンでは、室温が常時5~8℃のパイルームに配属され、一日中そこで作業をするなど、辛い仕事も経験しながら、菓子作りの一通りを学んだといいます。ラデュレでは、最後の2年間、パリの同店のスペシャリテであるマカロンの製造責任者を、日本人ながら務めることができました。
そんな石井さんにとって、恩人と呼べるパティシエが、「ヴィロン」の大亀善孝さんです。エコール辻からの派遣研修先のトリアノンで出会い、渋谷「ヴィロン」時代には一緒に働いたこともあります。石井さんがヴィロンを辞めて、独立するか、それともラデュレに入るか迷っていたときも大亀さんに相談。「ステップアップしなさい。ラデュレならフランスのやり方や考え方を学べるチャンスだ」というアドバイスを受けたといいます。
「大亀さんから言われて印象に残っているの言葉に『顔をあげなさい、まわりをよく見なさい、スピードをあげなさい』があります。これは、趣味として一人でお菓子作りをするのではなく、ビジネスとしてチームでお菓子作りをするうえで、重要なことなんです」。
菓子作りで重要なものの一つに「時間」があります。素材を室温に出している時間や素材に触っている時間を短くすることが味を左右するのはもちろんですが、狭いキッチンで一人が遅れてしまっては、その後の作業の流れが変わってしまい利益があがらず、仕事として成り立たちません。時間は、経営者の視点で見ても大事なことなのです。
趣味ではない職業としてのパティシエに必要なこと。この言葉は、独立した今も、石井さんが仕事をするうえで心に留めているものです。
修業期間10年。石井さんは、念願の独立を果たします。「お店を出したいとずっと思っていたのですが、自分自身がおっとりとしていて、さらに慎重派なので、なかなか踏み切れずにいました。しかし、ラデュレでマカロンの製造部長も務めて、自信もついた。何より、40歳を過ぎていたので、『人生のお尻』も見えはじめて、お金のこととか、自分の体力のこととか考えて、独立を決めました」。
お店のコンセプトは決まっていました。定番のフランス菓子が並ぶ地元の人に愛される店。都心よりも郊外の静かな場所にしたい。修業時代に一時駒場に住んでいた縁もあり、石井さんは、同じ目黒区の東横線都立大学駅近くに店を開くことを決めました。店名は「アディクト オ シュクル」。甘い菓子が大好きな石井さんらしく、「甘いもの中毒」という意味のフランス語です。ラデュレを退職してから準備に8カ月、オープンは2014年4月でした。
オープンに際して石井さんは、「ワンアイテム入魂作戦」を実行します。それは、オープン前にフランスのパティスリーを視察した際のこと。各アイテムのクオリティの高さに驚き、自分では全体をこのレベルまで到達させることはできない、と痛感した一方で、ひとつのアイテムを磨いていけば、これと同じレベルまで高めることができるはずだ、という確信を得たのです。そこで、石井さんは、フィナンシェを磨き上げるアイテムにして、オープンに挑みます。それが功を奏し、「アディクト オ シュクル」のフィナンシェは、店の看板アイテムになりました。