料理のプロセスを楽しめる自分がいた
おいしいものを作るのが好き。美しいものが好き。人を楽しませるのが好き。独自の美学で食卓を彩るフードスタイリストのマロンさんにとって、料理はまさに天職。そんなマロンさんは、料理との関係をどのように育んでいったのでしょうか?
「子どもの頃に見ていたNHKの料理番組『きょうの料理』が原点です。ちょうど高度成長期に差し掛かったころで、テレビや雑誌などのメディアを使って料理が表現されていた時代。料理って面白いなぁ楽しいなぁって思いながら、テレビの画面の中で自分が料理をしている姿を想像していました。実際に料理を作るようになって、まだスイーツっていう言葉がなかった時代にお菓子も焼いて。本を見ながら工程通りに、真面目に真剣にね。そのときに感じたのは料理っていうのはプロセスの楽しさだってこと。それが面倒だと感じたら、料理の世界には関わらなかったと思います」
マロンさんは長崎生まれ佐賀育ちの九州男児。それを差し引いても、時代的に男の子が料理に興味を持ち、キッチンに立つのは珍しかったといいます。そんなマロンさんを後押ししたのは、一人っ子のマロンさんを深く愛した家族の存在でした。
「すごい料理を作っていたわけじゃないけれど、僕が作ったものを両親や祖母が食べていつも喜んでくれました。当時は男子厨房に入らずの時代。料理をするのを止められてもおかしくなかったのに、好きなようにやらせてくれて、『おいしい、おいしい』っていってくれて。それがパワーになり、おいしさは人を喜ばせることができるとわかったんです。それがあるから今の僕がある。だから両親や祖母には本当に感謝しています」
日本初のフードスタイリストに
料理の専門学校を卒業後、料理研究家、インテリアスタイリストのアシスタントを経て、日本人フードスタイリスト第一号として1983年に独立。アシスタントとして撮影に参加しているうちに、他の料理家やシェフたちのように自分を表現したい、自身をプロデュースしたいと思うようになったとマロンさんは振り返ります。
「料理は、おいしくて楽しくて美しくなければいけない。その上に美意識があって、そういう食空間作りを目指していました。食のアーティストとして、お皿や小物を使ってテーブルを演出して、料理を“魅せるもの”にして、人の心をくすぐる。調理するだけじゃなくて、それを取り巻く環境も含めて『料理』なんです。料理を作って、スタイリングもして、レシピが書ける人は他にいなかったから、すごく重宝がられて、めちゃくちゃ忙しかったですね。当時は雑貨ブームで、雑誌の連載ではレシピだけじゃなくて、僕が好きなおすすめの食器や道具なども紹介していました」
『センスは盗め、センスは磨け』
こうして瞬く間に人気フードスタイリストとしての地位を確立し、数え切れないほどのテレビや雑誌の仕事をこなしてきたマロンさん。次から次にやってくる仕事へのレシピやスタイリングのアイデアが枯渇することはなかったといいます。
「日本や海外の雑誌や本をとにかく大量に読み漁っていたから、情報量が違いました。今みたいにパソコンで検索すれば情報が何でも出てくる時代ではありません。引き出しを増やすどころか、すぐに満杯になっちゃう。そのとき参考にした本や雑誌は、今でも捨てられずに残っています。紙の資料のほかにも、道具や食器、小物といったスタイリングに関わるものも事務所に山積みでしたね。また、人と会ったり食事をしたり、映画を見たりする時間も大切にしていました。遊びも仕事で、仕事と同じようにいつも本気で取り組んできた。それは、今でも変わりません。人と会ってコミュニケーションをとることで、仕事も広がりました」
なかでもマロンさんが最も学んだのは海外の洋書。かつて銀座にあった洋書専門店のイエナ洋書店に足繁く通い、それでも入手できない本や雑誌は海外にオーダーしていたそうです。気に入った雑誌は今も定期購読をしているほど。
「僕は洋書から“ビジュアル”を学びました。よく『センスは盗め、センスは磨け』っていっているんですが、一番いいのは模写すること。そこから始めればいいと思う。『インスタ映え』っていう言葉がありますが、映えるビジュアルを僕たちは90年代~2000年代に実際に雑誌の誌面で作ってきました。お金をかけて作る広告じゃなくて普通の記事としてね。それを見てフードスタイリストを目指してくれた子もたくさんいたみたいだけど、僕も洋書や洋雑誌を見てヒントを得て、道を切り開いていったんです」