特集記事

料理はコミュニケーションツール

インタビュー
2018年06月14日

フレンチをベースに、初心者でも作りやすい料理やお菓子のレシピで定評がある渡辺麻紀さん。幅広いテーマの著書を手がけ、ベストセラーのタイトルも多いことから、どんな料理もそつなくこなせるイメージのある渡辺麻紀さんですが、ご自身は「私は不器用」と繰り返します。その言葉の真意とは?
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イタリア料理を知って、フランス料理を見つめ直す!?

こうして、満を持してフランスで料理を学びはじめた渡辺さんですが、そこで新たな壁にぶつかります。
「ずっと憧れていたフランスなので、毎日が充実していました。だけど、不器用でフランス人のDNAを持っていない私が、壮大なストーリーを持つフランス料理というものに少しでも近づくにはどうしたらいいのかと悩むようになって。ヨーロッパ圏の文化がすぐに理解できず、言葉も完璧ではない。限られた時間とお金のなかでやりたいことがいっぱいあっていつも必死で取り組んでいたのに、私が焼いたケーキは膨らまなくて、時間つぶしに遊びで来ていると公言しているような、お化粧バッチリで授業もさぼってばかりでやる気もないスペイン・ギャルのクラスメイトのケーキがきれいに膨らんで、なんて不条理なんだろうと……」
そこで渡辺さんは、フランス料理のルーツとされるイタリア料理を勉強すれば理解が早まるのではと、イタリアの料理学校へ行くことを決意。ところが、国境を越えるとフランスとはまったく異なる国民性に愕然としたと話します。
「フランス人シェフたちの働くキッチンはいつも、どこも、ぴりっとした緊張感に満ちていました。その雰囲気も、そこで生まれる哲学的で理論的、アート性の高い料理にも惹かれていたので、気楽な ゆるい雰囲気のイタリア人シェフたちにびっくりして(笑)。たとえば授業で、前の日に水から茹でていた鶏を今日はお湯から茹でていた、ということがあったとします。その理由を尋ねたとき、フランス人シェフは自分の哲学があって、明快にその違いを説明してくれるんですけど、イタリア人シェフだと『え、そんな風にしてたっけ? 日本人は細かいねぇ』って言われちゃう(笑)。だけど、でき上がったイタリア人シェフの料理もすごく美味しいんです。『料理ってなんだろう?』って深く考えさせられましたね」
そんなイタリアでの経験から、そのときはフランス料理に惹かれる気持ちを強めたという渡辺さんですが、今、じわじわと響いているのがイタリアでの日々だといいます。
「私が触れていたフランス人シェフたちはもれなく、料理中に作業が滞らないようにと事前に材料や道具をきちっと準備をしていましたが、イタリアでは料理中にハーブを外に摘みに行ったりするような大らかさがありました。当時は思いもしませんでしたが、あのゆるやかなイタリアの空気に触れた経験がボディーブローのように効いていて、貴重な留学時代にイタリアでも学んで良かったと思います」
「そのあとフランスに戻ってからも、自分が望むようにテクニックが上達する実感が持てず、どこかで『自分は料理の神様にそっぽを向かれているのかも…』と思って過ごしていたのですが、ある日料理中にふと、『あ、今、料理が自分の手の中に入った…!』と思う瞬間がありました。行けるかもしれない。もっとがんばろう。もっと先へ行きたい!と思ったのです」

キャリアを支える長い下積み


帰国後は、フードコーディネーターの仕事を再開し、一つ仕事を終えるたびに次の仕事につながり、気づけば料理家としてここまでやってきたという渡辺さん。手掛けた仕事のクオリティの高さと前向きで温かい人柄が、継続的な仕事に結びつくという点は、ぜひ学びたいところ。また、好奇心旺盛で引き出しが多いことも、料理家として信頼される由縁です。
「“自分が頑張れば飛んでいける”くらいの感覚になってきたのは、ここ7~8年くらい。私は器用でもないし天才型でもないから、経験を積むという意味で、長い下積みは必要なプロセスでした。今の時代に合ったやり方かはわからないですし、それを経験したからといって必ずしも料理家になれるわけではありませんが、地道なスタイルが私には合っていました」
不器用を自称する渡辺さんですが、料理家として独立し、数々の料理関連のメディアで活躍しながら、ベストセラーのレシピ本を次々と生み出せた秘訣は何だったのでしょうか? その理由を、料理家を目指す人へのメッセージとして、尋ねてみました。
「“こんな食材を見つけたり、調理法を思いついたりしたけど、皆さんもやってみませんか? 楽しいから!”と思って作っているのが、私の本。だから、長い間、書店で売っていただいたり、他の媒体でも同じようなテーマが取り上げられるのは、いたずらが成功したようでとてもうれしいです。ただ、料理家の仕事はきれいな部分だけを取り上げられがち。他の料理家さんたちもあえて苦労話を語らないのかもしれませんが、もっとドロくさい世界だと私は思います。それから、サービス精神がないと料理の仕事は難しいと思います。今は働くことに関する法律が厳しくなっていますが、それだけで割り切れない、割り切りたくないことも多いはず。私なんて、たった1本の理想のニンジンを求めて、電車を乗り継いで、お店を3~4軒探し回ることもあります。自分のお客さんや生徒さんでなくても、料理をする場に自分が携わっている以上、調理だけでなく、買い物や洗い物、掃除にいたるまで、心を使うべきことはたくさんあります。相手があってこその料理だからです。料理はお鍋やお皿の中だけでなく、もっともっと広い範囲を含めてのものだからです。それをちゃんと意識できるかは、とても大切なことだと思います」
仕事とプライベートを分けている人も、仕事が趣味の延長という人も、自分がどのスタンスでそれをするのかを考えることも重要だと渡辺さんは続けます。
「自分の実力や持っている才能を俯瞰で見る習慣がないと、思い違いをしたり、人と比べて不安になったり、もらえる対価を自分で判断できなくなったりして、モチベーションを保つのが難しくなると思う。私の場合、仕事とプライベートを分けられない性格で、1日中料理のことばかり考えていたので、それがつながって今、こうしてお仕事をさせていただけて本当に幸せだと思っています。この先、もしも今のようにレシピを発表させていただける華やかな場がなくなったとしても、周りの人たちには自分の料理を提供することができる。場所を変えても続けていけるのが、この仕事のいいところだと思います」

料理人だけの特権を享受する

とにかく“料理が好き”という想いにあふれる渡辺さんにとって、料理は人と人をつなげるコミュニケーションツールのような存在という。 「単純に料理やお菓子を作る工程が楽しく、食材や出来上がりの料理が美しいから好きなんです。ときどき、“頑張って数時間かけて煮込んだのに、家族が5分で食べるからがっかり”というような話を耳にしますが、私は材料を仕込む過程も大好きなんです。たとえば、ハーブやレモンをたっぷりとまとわせて、お肉なんかをマリネするときの景色の美しさや、煮込んだ紫玉ねぎにビネガーを加えたときのふわっと発色するマジックみたいな感じ、それからトマトを生から煮込んだときにクタッと崩れていく美しさや凝縮していく匂いもたまらないなぁと(笑)。あれは作っている人しか見られない景色であり、嗅げない香り。だから、他の誰かのためではなく自分のために、料理をすること、それは絶対に手放さない!って思っています」

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撮影/平松唯加子 取材・文/江原裕子

渡辺麻紀
料理家。白百合女子大学仏文科卒業。大学在学中より、フランス料理研究家の上野万梨子氏のアシスタントを務める。氏の渡仏後、「ル・コルドン・ブルー東京校」に5年間勤務して独立。フランス、イタリアへの料理留学で研鑽を積み、テレビの料理番組などのフードコーディネーターを経て、現在は「ELLE gourmet(エル・グルメ)」などの雑誌や企業へのメニュー提案やレシピ開発などを手掛ける。

料理から製菓まで、手掛けたレシピ本は多数。どのタイトルにも渡辺さんの食への情熱と探求心がつまっていて、初心者でも作りやすく、味が決まると評判。なかでも初めての著書『キッシュ』(写真右/池田書店)と『ごちそうマリネ』(写真左/河出書房新社)は、重版が続くロングセラーに。

国内外で持ち歩き、食べたものやレシピのアイデアなどを描きとめたノート。高校生のときから記録を取り始め、今ではダンボール1箱分にも上るそう。スマートフォンのカメラ機能も便利ですが、撮った後の整理の手間を考えると、今でも写真よりも手描きが好きと渡辺さん。

フランス南西部の伝統料理で、鴨のコンフィやソーセージ、白インゲン豆を煮込む「カスレ」を作るための土鍋は、スペインとの国境に近いフランス・カルカッソンヌで購入。「都心や通販で何でも買える日本とは違い、当時のフランスではその地域でしか買えないものも多く、出合ったらその場で買って、抱えて持ち帰っていました」