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家庭と大好きな仕事を両立するコツ

インタビュー
2018年10月11日

フランス料理家で、IHクッキングの第一人者としても知られる脇雅世さん。和食や製菓も得意で、実に60冊以上もの料理本を手掛けています。また、1994年から現在までNHK「きょうの料理」に出演し、2007年からは貝印が開発するキッチンウェア「o.e.c.シリーズ」を監修するなど、料理関係者からの信頼も厚い脇さんに、活躍し続けられる料理家になる秘訣を尋ねました。
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おいしい料理を食べる幸せ、作る喜び


脇雅世さんが生まれ育ったのは高度成長期。食がダイエットや健康とセットで語られがちな現代とは異なり、おいしいものをお腹いっぱい食べることが幸せとされていた時代でした。
「父はおいしいものを食べることに貪欲で、自分で釣った鯉で鯉こくを作ったり、きじを撃ってきじ鍋を作ったり、さらには経営していた会社のそばにおいしい寿司屋がないからと自分で開業してしまうような人でした。母もそんな父を喜ばせるために、当時は珍しかったグラタンを作ったり、ふかふかのパンを食卓に出してたり。そんな家庭で育ったからか、自然と料理が好きになりましたね」
脇さんが高校時代、お母様が自宅の1階に小さな喫茶店をオープン。お店を手伝うことで、自分が作った料理で人を喜ばせられることを知り、料理本を見ては気になる料理を作り、お客さんに提供していたそうです。そんな脇さんが、最初に興味を持ったのは日本料理。お茶やお花を習っていたこともあり、テレビの料理番組などで活躍していた料理家で京都の茶懐石料理店「辻留」2代目主人だった辻嘉一さんの料理に感銘を受け、自宅から通える場所にあった茶懐石料理教室に通うなど勉強を始めます。ところが、ほどなく方向転換をすることに。
「当時の日本料理は男社会。とても閉鎖的で、『どうしてこうするんですか?』って聞いても『昔からこうだから』と教えてくれないんです。盗んで覚えろの世界だから、自分の技術は決して明かさないし、ちっとも面白くない。だから、この狭い世界の中で進んでいくのではなくて、いろんなものを知ってから最終的に和食をやれたらいいんじゃないかと思うようになりました」

かけがえのない経験を積んだフランス時代


日本料理の代わりに学ぶのにふさわしい料理は何だろうと考えた末、選んだのが宮中晩さん会をはじめ、世界の公式晩さん会で供される格式高いフランス料理。喫茶店を手伝いながらフランス語とフランス料理の勉強を始め、21歳で渡仏します。
フランスには伝手もなく、まずは語学学校へ入学。滞在期間を1年半と決め、半年はフランス文化をより深く理解するために語学をきっちりと勉強し、残りの1年で四季折々のものに触れようと「ル・コルドン・ブルー・パリ校」や「マキシム・ド・パリ」などでフランス料理の研修を受けました。
「『マキシム・ド・パリ』は当時のフィニッシングスクールで、クラスメイトはアメリカのお金持ちのお嬢様やイギリス貴族の血筋の人たちばかり。何もかもが特別で、バカラ美術館では一般公開していない場所を見学できたり、当時は行けなかったノートルダム大聖堂の屋上に登らせてもらえたり、モエ・エ・シャンドンのシャトーのランチに招待されて、エペルネの駅に当時のオーナーがポルシェで迎えにきてくれたこともありました。またあるときは、面倒を見てくれていたマダムが映画撮影をしていたマキシム本店に私たちを連れて行き、オードリー・ ヘップバーンに会わせてくれたんです。キッチンの研修も勉強になりましたが、こういう世界があることを知ることができたのは貴重でした」
料理のほかにワインやフラワーアレンジメント、テーブルコーディネートも学び、決めていた1年半の滞在期間が過ぎて一度帰国。再びお母様のお店を手伝い始めた脇さんですが、「フランスで料理を勉強してたんだって?」と聞かれても、胸を張ってそうですと言えなかったと振り返ります。
「帰国して、フランスで覚えたキッシュ・ロレーヌを焼いて出したら、『このパイ甘くないんだね』って言われるの。当時の日本でパイといえば、甘いお菓子が主流でした。また、ウサギの肉を手に入れてテリーヌを作ったときは、『こんな本格的なフレンチが喫茶店で出てくるの?』と驚いてほめてくださるお客様がいれば、『ハンバーグステーキはないの?』と不満気におっしゃる方もいました。1年半ではとてもフランス料理や食文化を修得したとはいえず、自信を失い不安な毎日を過ごしていました。再度フランス行きを決行、結局合わせて7年間フランス料理を勉強しました」

基本が身につけば、自分で考えて料理できるようになる


フランスで料理を学んだなかで最も勉強になったのは、食材のことと話す脇さん。フランスに行ったらまず知りたいと思っていたのは、「マッシュルーム」と「シャンピニオン」の違い。それは子どもの頃に両親が脇さんのために定期購読してくれたタイムライフブックスの『世界の料理』シリーズに出てきた言葉でした。
「日本では誰に聞いてもわからなかったその答えは、『きのこ』の英語名とフランス語名の違いでした(笑)。他にも、8人前と書いてあるのにピーマンが1個だったりきゅうりが1本だったりしたのもずっと不思議だったのですが、日本では想像もつかなかったフランスサイズの大きなパプリカ1個ときゅうり1本のことだとわかり、謎が解けました。当時の日本では、フランスの食材についての情報が乏しかったんです。また、フランス人は食材にこだわる人が多く、見分け方や扱い方などしっかり教えてもらったことはとてもありがたかったですね」
食材や調理法など、今ではネットで検索すればすぐにわかることを、足を使って自分の目や耳で確かめて覚えた脇さん。時間をかけた分、確実に身についたであろうことは想像に難くありません。

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撮影/平松唯加子  取材・文/江原裕子

脇雅世(ワキ マサヨ)
東京都生まれ。料理研究家。1977年に渡仏し、「ル・コルドン・ブルー・パリ校」「マキシム・ド・パリ」「トゥール・ダルジャン」などでフランス料理を学ぶ。1981年より10年間、24時間耐久レース「ル・マン」にマツダ・レーシングチームの料理長として参加。1984年に帰国し、服部栄養専門学校国際部ディレクターに就任。1991年より「脇雅世料理教室」を主宰し、書籍、雑誌やテレビ、キッチングッズのプロデュースなど、幅広い分野で活躍中。2014年、フランス政府より農事功労章を受勲。

見た目がよく、使いやすく、性能がいいがモットーのキッチンブランド「o.e.c.(オー.イー.シー.)」シリーズ(貝印)。2007年に第一作目が誕生して以来、そのラインナップは、鍋、フライパン、包丁、キッチンツールなど多岐に渡ります。「IHだから料理がうまくできないと思い込んでいませんか? o.e.c.シリーズならIHはもちろん、すべての熱源で今までよりも料理がおいしく作れますよ」

脇さんが「刃物のスペシャリスト、貝印さんと作りたかった」と話す包丁。「o.e.c. Cookingナイフ 195mm」(貝印/写真・上)は、三徳包丁とシェフズナイフのいいとこどりで、これ1本で肉、魚、野菜、フルーツのカット作業がこなせます。また、欧米では食材を手に持ってカットする調理に使われるペティタイプの「o.e.c. ユーティリティナイフ 95mm」(貝印/写真・下)は、果物ナイフ、ステーキナイフ、テーブルナイフとして活躍します。

これまで60冊を超える料理本を手掛けた脇さん。写真左から、家庭にあるフライパンで、レストランに出てきそうなおしゃれでリッチな料理が作れる「もっとおいしい!フライパン」(成美堂出版)、日本の家庭でも作れるフレンチのレシピをパリの街とともに紹介する「パリっ子の台所から」(扶桑社)、IHクッキング3冊シリーズのうちの1冊でIHで作る料理のコツが満載の「IHクッキング マスターレシピ」(講談社)など、テーマも切り口も多彩。