銀座小十 主人 奥田透さん【私の駆け出し時代】

2007年に発刊された『ミシュランガイド東京』で、初年度から三ツ星店として掲載された「銀座小十」(2019年版にも二ツ星として掲載)を基幹に、同じ銀座で「銀座奥田」、「すし晴海」を手がける奥田透さん。さらに、本物の日本料理を提供する「OKUDA」をパリとニューヨークに出店。農林水産省より、日本食・食文化の魅力を国内外に広く発信する「日本食普及の親善大使」にも任命されています。「自分は器用ではない」と言う奥田さんが、日本料理人として、日本国内に留まらず、海外でも活躍する現在に至るまでの道のりをお聞きします。

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2019年05月30日

人生は千本ノック。野球漬けだった少年時代

静岡県静岡市で、3人兄妹の長男として生まれた奥田さん。大の野球好きで、読売ジャイアンツ(当時)の王貞治選手の大ファンだった父親の影響で、小学校ではソフトボール、中学校では“憧れの甲子園”を目指し、勉強はそっちのけで野球三昧の毎日を過ごしていました。野球がテーマのコミック『巨人の星』(原作/梶原一騎、作画/川崎のぼる)や『ドカベン』(水島新司)、今でも主人公に胸が熱くなるという「キャプテン」(ちばあきお)といった、いわゆる“スポ根”の世界にどっぷりハマり、父親の協力もあって、野球の練習や筋トレに明け暮れていたと言います。

中学時代に人生で初めての挫折を経験し、地元の名門校である静岡市立高校に進学すると、今度はサッカー部に転向。「人より努力すれば必ず報われる」を信念に、早朝から夜遅くまで毎日練習に励みましたが、ここでも挫折してしまったそうです。
「自分が空っぽになったようで、何か夢中になれる世界を見つけなければと焦っていました」。そんな高校時代に現れたのが、当時、宮城県塩竈市でマグロの仲買いをしていた親戚のおじさんでした。これが、奥田さんが初めて触れた食の世界。それをきっかけに、親戚の縁をたどって静岡市の居酒屋「福助」で、お運びのアルバイトを始めます。
「福助で見たような板前になることが、その頃描いた将来の目標でした」

いまいる世界を上り詰めると、次のステージが見えてくる

少年時代からの体育会系気質で、思い立ったらまず身体が動くという奥田さん。高校を中退して料理人の道へ入ろうと意気込みますが、それを止めてくれたのは、両親や、周りで見守っていてくれた先輩の板前たちでした。

「料理人になるなら、いきなり居酒屋で板場に立つのではなく、最初は親方がいる店で皿洗いから始めてきっちり修業を積み、基礎から学ばせてもらった方がいい」という先輩のアドバイスを「たしかに野球で例えると、まずキャッチボールや素振りをしてからバッターボックスに立つものだ」と、納得します。

当時の料理人の世界といえば、長時間労働が当たり前だったり、親方や先輩からしごかれたりと厳しいものでしたが、「千本ノックを受けるのに比べたら、何てことない」と思えたとか。「自分は器用な方ではないし、並外れた才能があるわけでもない。だから、人より多く練習したり努力したりすればできることなら、いい料理人になるために何だってしようと思いました」

せっかく修業に入るならと、静岡で一番指導が厳しく、一番いい日本料理を提供すると言われる割烹旅館「喜久屋」に入店。高校を卒業するとすぐ、先輩たちと相部屋で、住み込みで働き始めました。ここでも持ち前のスポーツ少年根性を発揮し、休憩時間や休日を返上して、包丁使いを練習したり、先輩の代わりに面倒な仕事を引き受けたりして、周囲に認められていきます。「自分より才能がある人は周囲にたくさんいましたので、自分の才能の限界は自分でよくわかっていました。けれども努力することで、できなかったことをできることに変えられるのは、嬉しかったですね」

がむしゃらに働き、店の仕組みが見え始めるにつれ、“居酒屋の板前”だった夢は、“居酒屋の経営者”に変わり、料理人としては、さらなる高みとして「京料理」の世界を学びたくなります。
その後、京都「鮎の宿つたや」を経て、「本物の日本料理とは、自分がつくりたい理想の日本料理とは何なのか」を追求していくうちに、ついに一冊の書籍を通じて徳島「青柳」主人、小山裕久氏の料理に出会ったのです。

「何かを探して焦っていた高校時代に、一足飛びに“青柳”に出会うことはできませんでした。目の前にある山に夢中になって取り組み、その頂上にたどり着くと、次は更に高い山が見えるようになる。それをクリアするとまた次という風に、結局は目の前のものに真摯に打ち込むことが、いつか高いところにたどり着くことに繋がると思います」

人間の舌は脳と筋肉の固まり。味覚は何歳からでも鍛えられる

銀座に予約困難な人気店を構える一流の日本料理人。そう聞くと、生まれつき舌が超えていたり、子どもの頃からおいしいものを食べてきたりした、料理人として恵まれた人生をイメージします。「食は三代」などという言葉もあります。けれども奥田さんは、「味覚は一代。本人の努力でいくらでも鍛えられる」と言い切ります。
もちろん、いくら努力しても運動が苦手だったり、歌が下手だったりする人がいるように、味覚に関して生まれつきセンスを持ち合わせていない人もいます。けれども、そのような人の場合、そもそも食べることに関心がないことがほとんど。「料理人の話を読もうなんて人は、じゅうぶんに普通の味覚は持ち合わせているはず。後は本人の努力次第でしょう」と言うから心強い。

奥田さん自身は、父親が公務員の、裕福とはいえないごく普通の家庭で育ちました。父親は食べることにあまり関心がなく、「高級レストランでマナーを気にするよりも、近所の定食屋や中国料理屋で気軽に食べるのが好き」なタイプ。母親は、料理があまり得意ではありませんでした。初めてのごちそうは、小学校3年生のときに近所のファミリーレストランで食べたビーフステーキだったそうです。

奥田さん流の舌の鍛え方は、料理や食材を、意識を集中させて味わい、これまでの経験と比較して言語化し、それを記憶すること。「経験は繰り返せば繰り返すほどいい。これも野球の千本ノックと同じですね」
以前、5つの銘柄の日本酒とその仕込み水を飲んで組み合わせを当てるという企画で、すべて正解し、それから自分の味覚に自信が持てるようになりました。ただし「料理人として、自分の味覚には絶対値としての自信を持つべきですが、同時に常にアップデートする必要がある」と、今でも舌を鍛え続けています。

日本料理は世界の最高峰。伝承者としての使命を果たす

現在は、料理人として調理場に立つだけでなく、調理師学校などで若手の育成に貢献したり、給食を通じて子どもたちの食育に携わったりと、日本料理と日本文化を守り、受け継ぐ活動に情熱を傾けている奥田さん。農林水産省から、「日本食普及の親善大使」にも任命されています。

「日本料理というのは、単に皿の上にのったもののことだけではないわけです。店構えや設いといった建築や調度品、地方や作り手によって味わいが異なる器、お客様をお迎えする日本人の精神、季節の食材を映し出す日本の風景、料理の味を左右する水やその水で仕込む日本酒。そういった伝統や風習、文化を総合したものが日本料理なわけです。僕は、日本料理は世界に誇るべき日本の文化で、世界最高峰の料理だと考えています」

「一方で、日本料理は出汁をひとつ取るにも手間がかかるなど、めんどうだということで、和食から遠ざかる家庭がどんどん増えています。また、日本料理は値段が高くて、かつマナーが難しく敷居が高いというイメージから、若い人たちの日本料理離れも進んでいます。こんな時代の流れを食い止めようと、僕ひとりくらい、世間と戦ってもいいのではないでしょうか」

元スポーツ少年の奥田さんにとって、生きることは勝負に挑むこと。世間からは成功者と認められている今でも、自身にとっては戦いの真っ最中とか。千本ノックの精神で、何度倒れても立ち上がるファイトがあるし、どん底からでも這い上がれると自分を信じているそうです。

50歳になる今でも、心にいるのはあの頃の野球少年

よく「天才は99%の努力と1%の才能」と言われます。「だったら1%の才能がない自分は、99%の努力を人の2倍も3倍もしてやろう」というのが奥田さんの考え方。そんな奥田さんにとって、「本物の天才の姿」を見せてくれたのが、『日本料理 龍吟』の山本征治さんでした。今から二十数年前の青年時代、共に同じ一冊に共鳴して、「青柳」主人の小山裕久さんの門下生となったふたりは、青年時代に同じ夢を持ち、共に語り合った親友同士。今でも深い親交が続いています。

「99%の努力では追いつけない、100%の才能と100%の努力を合わせ持っているのが山本征治という料理人です。スポーツの世界で育った僕は、何かあるたびに勝った、負けたと言いますが、山本征治の場合、勝敗を口にしたことがない。なぜなら誰にも負けるはずがないからです」

山本征治さん以上にすばらしい料理人に、これまで会ったことがないという奥田さん。自分より優れていることを素直に認める一方で、心の中で思い浮かべるのは、野球マンガ「キャプテン」(ちばあきお)の主人公・谷口キャプテンの姿です。「勝負の世界はおもしろいもので、たとえいっときは負けていても、諦めなければ勝機が訪れることもあるのです」
いつか山本征治さんに「奥ちゃん、すごい料理をつくるね」と言われる料理人になりたい。その日のために、奥田さんの“千本ノックな日々”は継続しています。

撮影/大木慎太郎 取材・文/江藤詩文

奥田 透さん
1969年、静岡県生まれ。高校卒業後、静岡の割烹旅館「喜久屋」、京都「鮎の宿つたや」を経て徳島の名店「青柳」で4年間の修業を積む。1999年、29歳で独立。静岡で割烹料理「春夏秋冬 花見小路」を開店。2003年、33歳で「銀座小十」を開店。2011年に「銀座奥田」を開店し、翌年「銀座小十」を並木通りに移転。日本料理と日本文化の伝承を使命として、2013年パリに「OKUDA」を開店。現在はパリで「鮨OKUDA」、ニューヨークで「OKUDA」も運営している。

銀座小十
中央区銀座5-4-8 4階
Tel : 03-6215-9544
http://www.kojyu.jp/


奥田さんの春の代表料理「平貝の旬菜づくし」。うるいやゼンマイ、わらび、うどといった春の山の恵みを十数種類、それぞれの持ち味を引き出すようにひとつひとつ調理して、春が旬の平貝と合わせた春爛漫のひんやり涼やかなひと皿です。


おまかせコースの焼き物から「キンキ炭火焼き」。脂のよくのった大ぶりのキンキを、タレなどは一切使わず塩だけで旨味を最大限に引き出して焼き上げています。添えてある炭火焼きの筍や素揚げしたノビルも、季節をストレートに伝える味わい。


左は、奥田さん(と日本料理 龍吟の山本征治さん)の料理人としての人生を変えた一冊。『青柳 小山裕久 味の風』(柴田書店・絶版)。右は、開業からしばらく集客に苦労していた時期に、初めてのメディア掲載となった雑誌『東京カレンダー』。


料理人としてのこれまでの半生や、海外進出の先駆けとして苦労したエピソードなどを、自分自身の言葉で丁寧に綴った著書。右は、『世界でいちばん小さな三つ星料理店』左は、『三つ星料理人、世界に挑む。』(共にポプラ社)。


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