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常識外れのパン焼き小屋ツォップ秘話

インタビュー
2019年04月26日
料理家の駆け出し時代を訪ねていた今連載。2019年4月からは人気店のシェフにスポットを当て、料理人を目指したきっかけから修業時代について、多くの人に愛される店が生まれるまでの話を伺います。第一回目は千葉県・松戸市にある全国はもとより世界から客が訪れるベーカリーの店主が登場。 千葉県松戸市。最寄り駅からバスで10分ほどの郊外らしいのどかな住宅街に、こつ然と現れる長い行列。北は北海道から南は沖縄まで全国から、いえ、近ごろは海外からもパン好きがやって来る「Backstube Zopf(パン焼き小屋 ツォップ)」です。「ありふれた町のパン屋の息子」だったという店長の伊原靖友さんは、どうやって日本を代表する繁盛店を作り上げたのでしょうか。「“考えなし”で“ケチ”な性格」と、笑う伊原さん。そのサクセスストーリーに迫ります。 >>あの人気料理家も登場! これまでの記事はこちら

風呂なしアパートで仲間と暮らした“丁稚奉公”時代


東京都葛飾区で、父親が営む町のパン屋「丸宮」の息子として生まれた伊原さん。少年時代に、現在の店舗がある千葉県松戸市に家族で引っ越して父親はパン屋をオープン。地元の高校に進学した伊原さんはそこで生涯の伴侶となる妻・りえさんに出会いました。
高校を卒業すると、単身で神奈川県の「シェーンブルン」という大手ベーカリーに住み込みで修行に入ります。当時の伊原さんは若くてやんちゃな青年。“パン職人としてこの道を極める”といった強い志や意気込みは、特になかったとか。
「当時は、パン屋の息子は家業の店を継ぐのが当たり前。高校卒業後は、父の仕事関係者に紹介されたベーカリーに、見習いとして入らせてもらいました。つまり丁稚奉公です。今のパン職人のように、海外に出て研鑽を積みたいとか、専門学校で短期間に技術を習得したいとか、まったく思わなかったですね。性格的に考えない方なんです(笑)」
時代は週休2日制が導入されておらず、休みは週に1日だけ。時には早朝から深夜まで働くこともありました。それでも先輩や仲間に恵まれ、まったく辛くはなかったといいます。

「この時代にパンづくりの技術を、基礎からみっちり教えてもらいました。とりわけ当時の製造部長には感謝していて、今も交流が続いています」
後に伊原さんのシグネチャーメニューのひとつとなる、ドイツのライ麦パンと出合わせてくれたのも、製造部長でした。それは今振り返ると、材料もレシピも本場のそれとは異なるものでしたが、伊原さんのパンづくりのひとつの指針となったのです。

何から何まで常識外れのパン焼き小屋「Zopf」誕生


「あの頃は、3年くらい修行したら家業に復帰し、その後は父親から手ほどきを受けるのが普通だったから」と、3年後に“考えなし”で実家のパン屋に戻り、父親と共に働き始めました。地元の人に愛され、常連客もついていて、生計を立てるのにはまったく困らなかったといいます。とはいえ、毎日懸命に働いても、小売業の宿命で天候などに左右され、収入は安定しません。もっと大きなビジネスに挑戦してみたくなった伊原さんは、まず、卸業で売り上げアップを図りました。全国に40店舗ほど展開する自然派スーパーマーケットにパンを卸すことで、安定した収入を得ることができるようになったのです。
「パンの卸は3年ほどやっていました。一定の収入が見込めたのはありがたかったですね。でもその頃からもっと自分らしい、いろいろなパンを作りたいという思いが高まりました。そこで卸業はいったん辞め、自分が作りたいパンを、自分がいいと思う店舗で売りたいと、店名の変更と内装のリニューアルを決めました」
ちょうど世代交代を考えつつあったこと、子どもが成長して妻のりえさんに時間のゆとりができたことなど、さまざまな条件も後押ししました。まさに機が熟したのです。
「店のある立地は西陽が差し込み、パンに陽が当たるのが気になっていた」という伊原さんが思いついたのは、なんと窓を壁でふさいでしまうこと。「窓にしてブラインドやカーテンを付けることは考えなかったですね。窓は嫌だから壁を作っちゃえ!と。ここでも考えなしの性格が出ていますね(笑)」

伊原さんの思いを受け、りえさんがデッサンしたのは、窓がなく、外から中の様子が見えない空間で、温かいオレンジ色の光がパンを照らし出すパン屋さん。当時のパン屋といえば、通り道から店内がよく見える、ガラス張りで明るいことが普通でした。施工中は、こんなお店は潰れてしまうと心配されたり、バーやスナックといった飲み屋に業態を変更するのではと、思われたりしたそうです。さらに店名を、ドイツパンのひとつから取ったドイツ語の名前に変更。こうして「(親しみやすい日本語名から)読みにくいドイツ語名」で「窓のない薄暗い店舗」という、これまでのスタンダードとはまったく正反対のパン屋「Zopf(ツォップ)」が生まれたのです。

人がやっていないことに取り組み先行者利益を得る


新しい店舗で、伊原さんが真っ先に取り組んだのは、パンの種類と作る数を増やすことでした。これは現在も変わらないツォップらしさのひとつ。ライ麦パンをはじめ、ヨーロッパで食べられている食事系パンから、デニッシュやクロワッサンといった生地作りの技術を問われる繊細なパン、スイーツパンやお惣菜パン、あんパンやクリームパンといった世代を問わず愛される定番のパンまで、毎日およそ300種類が、わずか8坪の小さな売り場を、ぎっしりと埋め尽くしています。お店に入ると、まるでパンに包まれたようにワクワクする高揚感は、ツォップでしか味わえない幸せな瞬間です。
「パン屋という視点で言うと、日本は独自に進化した国。たとえばヨーロッパの町のパン屋ではヨーロッパの、アメリカではアメリカのスタイルのパンだけを売るのがスタンダードです。ところが日本のパン屋には、ヨーロッパのパンもあればアメリカのパンもある。さらに日本で考案された日本独自のパンもあります。それならすごい種類のパンがあって、誰でも自分の好きなパンを見つけられれば、お客様が楽しいじゃないですか」

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撮影/大木慎太郎 取材・文/江藤詩文

伊原 靖友さん
1965年、東京生まれ。東京の下町で“町のパン屋”の息子として育ち、12歳のとき、父親の意向で現在も店舗を構える千葉県松戸市に移転。18歳でパン職人として他店に入り修行を始める。1986年より家業に復帰し、父親の元で製パン技術に磨きをかける。2000年、代替わりを機に店名を「Zopf」に変え、店舗デザインも大リニューアル。ここから快進撃が始まった。現在は店舗の2階でカフェも経営し、次世代の育成にも力を注いでいる。

Backstube Zopf パン焼き小屋 ツオップ
千葉県松戸市小金原2-14-3
Tel:047-343-3003
http://zopf.jp

懐かしそうに取り出した昭和58(1983)年の給与明細。見返すと、初任給はわずか7万円ほど。10人くらいいた見習い職人のうち、約半分はパン屋の跡取りという丁稚仲間と共に、お風呂もないアパートで暮らしていました。

はじめての著書『Fixingと一緒に楽しむ Zopfが焼くライ麦パン』と『ツォップ伊原シェフに教わる ぜったいに失敗しないパンづくり』(共に柴田書店)。多数の学校で講師を務めるなど、パンづくりの技術を広く発信しています。

子どもたちにパン作りを教えるなど、いろいろな経験を重ねた修行時代の思い出のアルバム。上の2枚は2000年に改装を終えたばかりのツォップ。余談ですが、変化に驚いたお父様は、衝撃のあまりに数日家出をしてしまったとか。

カフェスペース「ルーエプラッツ ツォップ」の大ヒットメニュー「しっかり朝食」980円。たまご料理とたっぷりのサラダのプレート、焼き立てパンの盛り合わせ、スープ、ドリンクがセットになっていて大満足のボリューム。「パンペルデュ」680円など甘いパンもおいしい。