菜園で野菜を作り自分のカラーを出す

インタビュー

季節感を大切にし、四季に寄り添った食と暮らしを提案する料理研究家の植松良枝さん。アジアやヨーロッパを定期的に旅し、東京近郊に菜園を持つなど、旬の食材を活かしたレシピや食にまつわる自らの経験を等身大で伝えています。自然体な魅力でさまざまな年代の女性たちに支持される、植松さんの素顔に迫ります。

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2019年01月8日

食べるものは手作りが当たり前だった子ども時代

3人姉妹の長女で、3世代7人家族で育った植松さん。同居していた父方のおばあ様とお母様の2人がキッチンに立ち、毎日家族で食卓を囲んでいました。

「外食はほとんどせず、食事はもちろんおやつも母と祖母の手作りでした。祖母が作るおやつは、かりんとう、カルメ焼き、大学芋。粉物も祖母の担当で、うどんやそばも打ってくれましたね」

料理上手なお母様とおばあ様の存在で料理をする機会はあまりなく、代わりに作っていたのはお菓子。小学4~5年生になると自宅にお友達を呼んでは、バレンタインデーの前に一緒にチョコレートを作ったり、ホットプレートでクレープパーティーをしたりして楽しんでいました。

「私は食いしん坊で、料理にもお菓子作りも好きだったのですが、あくまで趣味としか考えていませんでした。私が小さい頃は、料理の仕事といえば飲食店も製菓店も職人気質で力仕事が多い男性の職場というイメージ。女性がお菓子を作るのも家庭の中だけという感じでしたね」

お父様が自営業だったこともあり、会社員になることは考えず、大学在学中も就職活動は一切しなかったという植松さん。一時はインテリアやデザインの道に進もうと考えていましたが、アナログからデジタルへ移行していたデザインワークに魅力を感じず断念。その頃、時を同じくして、料理界に新たな風が吹き始めます。

「ライフスタイルごと提案するような料理研究家さんがメディアで活躍されるようになったんです。器も料理研究家さんが選び、写真は自然光で雰囲気よく撮影されている。それを見て、『インテリアと食を結びつければいいんだ。こういう料理の紹介の仕方なら、私にもできるかもしれない』って思ったんです」

料理人ではなく料理研究家になりたい

料理人ではない料理への関わり方があることを知った植松さんは、大学卒業後に設立間もない「ジャパン・フードコーディネーター・スクール」に入学。フードビジネスを中心に、食の現場で活躍するための基礎から実践までを学びます。クラスメイトは、すでに職業を持ち、スキルアップのために通っている人が多く、植松さんは最年少。講師はシェフ、スタイリスト、料理家、フードコーディネーターなど、さまざまな食の現場で活躍するプロフェッショナルが務めていました。

「卒業制作では、チームでレストランプロデュースのプレゼン資料を作りました。メニュー案のほか、立地条件や客単価、固定費などもしっかり作り込んで。その学校ではたくさんのご縁があって人脈もできましたし、食の仕事に直結するアルバイトも紹介してもらって、幅広い経験ができました」

スクールは週2回の夜の講義だったため、日中は別のフィールドで料理の知識を磨くことに。まずは、愛読していた料理雑誌「オレンジページ」で働きたいと電話をかけて直談判。すでに新卒採用は終わっていて、求人の募集もなかったそうですが、その熱意が買われて2週間の事務の短期アルバイトに呼ばれます。その後、ほどなく編集部の料理班のアシスタント枠に空きが出て、週5日勤務の契約社員として採用されました。

「買い出しをしたり、撮影の手タレをしたり、試作をしたり、いろんな仕事が回ってきました。書庫にはレシピ本が山のようにあり、膨大な料理やレシピに触れたおかげで、料理の知識を深めることができました。でも、情報が増えていくのに、圧倒的に料理経験が足りない。だから、学校がない日の夜は飲食店で働きました。ちょうどエスニックブームだったこともあって銀座のベトナム料理屋の立ち上げから参加して、そこのアルバイトも掛け持ちしたり。まだ若かったし、タフでしたね」

料理で自分を表現する

その後、ハンバーグやローストビーフなど、本格的な和洋食を提供する一軒家のレストランに入店。雑誌で見たその店の料理と、ガラス張りの建物、コンセプトに惹かれ、ここでも直接電話をして雇用してもらうという持ち前の行動力を発揮。前菜などを作るセクションで働いて1年くらい経った頃、新たなチャンスが巡ってきます。

「『代官山のカフェで人を探していて、メニューも考えていいからやってみない?』って声をかけていただいたんです。働いていたレストランでまだ学ぶことがあると感じていたので、かなり悩みましたが、最終的にお受けすることにしました」

シェフと同等の立場で迎え入れられた植松さんは、それまで積み重ねてきた知識や経験をこのカフェで大放出。レシピ開発のほか、イベント、ケータリング、二次会のパーティなど、さまざまな企画を積極的に手掛けました。仕事はしっかりと取り組む一方で、きちんと休みを取って海外へ渡り、現地の食はもちろんアートにも触れ、感性を伸ばしながら新たなアイデアを料理に反映。カフェブームもあって、植松さんが切り盛りするカフェは話題店となり、雑誌の取材も数多く受けました。

「自分の作った料理が雑誌に載るのがうれしくて。いろいろな雑誌に掲載された記事をファイリングしていました。旅行のための休みがとりたくて、社員ではなくアルバイトという立場にしてもらっていたのですが、自由にやらせてもらえて、とても充実していました」

こうしてがむしゃらに働いて2年経った頃、初めて仕事で燃え尽きそうになったという植松さん。カフェでできることはすべてやり切ったと感じ、食材のことを勉強したいとフードコーディネーターに師事した後、28歳で独立しました。

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撮影/大木慎太郎 取材・文/江原裕子

植松良枝(ウエマツ ヨシエ)
料理研究家。神奈川県出身。大学卒業後、料理雑誌のアシスタント、レストランやカフェ勤務、料理家アシスタントなど、さまざまな食のフィールドで経験を積む。2003年に独立し、「アトリエmamagoto」を主宰。雑誌やテレビへのレシピ提案、レストランや企業へのレシピ提供を行いながら、料理教室やライフワークの野菜作りにまつわるイベントなどを企画。ジャンルや国にこだわらず、四季折々の行事や旬の食材を活かした料理に定評がある。

2005年に発売した1冊目の『畑のそばでうまれたレシピ 温かい野菜料理』(オレンジページ/写真・左)以降、野菜関連を中心に数々のレシピ本を出版。近年では、10年来通い続けるスペイン・バスク関連の本、『スペイン・バスク 美味しいバル案内』(産業編集センター)と『バスクバルレシピブック』(誠文堂新光社)を出版して話題に。


スペイン・バスクを訪れるたびに手にしているという名物のカゴ。栗の木を剥いで編んだもので、耐久性が高く、使い続けると色が濃くなっていくそうです。ユニセックスなイメージで使えるデザインも魅力。


食器洗いに愛用している台湾産ヘチマのスポンジ。日本のヘチマと比べてやわらかく、好きな大きさにカットして使えるそう。キッチンに置いておいて絵になるのも、お気に入りのポイント。


木質に優れたつげ製のキッチンツール。堅牢なのに鍋や食器を傷つけることなく、使い続けるうちに油がなじんで強度が増します。手に持ったときの木の温もりが心地よい。


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