
事務所の食部門担当が本職に、そして料理家デビュー
今回ご紹介するのは、料理家のワタナベマキさんです。ちょうど、NHKの長寿番組「きょうの料理」で「ワタナベマキの初夏の手仕事」が放映された頃の取材となりました。
「『きょうの料理』は何回かに分けて収録していただいたので、まさに1年がかりのお仕事でした」というワタナベさん。テレビや雑誌での華やかな活躍が印象的ですが、「メインの舞台は本づくりです。テレビのお話もいただくようになりましたが、私の仕事のキャリアスタートは本づくりに関わることだったので、これまでも本の仕事を第一優先にしてきました」と言います。
そもそもワタナベさんが料理の仕事をスタートしたのは、グラフィックデザイン事務所「サルビア」でデザイナーとして働いていた頃。ある時、「どうしてこのデザインにしたのかと説明しようとしてもうまく言葉にできないのに、料理だったら説明できた」ことに気づきました。「私の師匠」とワタナベさんが言う事務所代表のセキユリヲさんに「料理がやりたい」と相談すると、「サルビアの衣食住分野のうち、“食”の部分を担当してみれば?」と、「サルビア給食室」=事務所「サルビア」の食部門が立ち上がりました。
「自宅で祖母が料理教室を主宰していたので、料理は小さい頃から身近なものでした。でも、仕事としてやるなら基礎をきちんと習得したほうがいいからと師匠から許可をもらい、サルビアの仕事をしながら1年弱、調理師学校に通いました」
事務所の台所で調理し、友人や知人から預かったお弁当箱に料理を詰めて、週2回ほど届けるという活動をスタートさせたワタナベさん。2005年当時はまだ「ケータリング」という概念が広まっていなかった頃で、ワタナベさん自身もサルビア給食室のまかないをおすそわけする感覚だったそうですが、事務所に出入りするカメラマンや編集者などを通して評判は徐々に広まっていきました。旬の素材を生かしたやさしい味付けの飽きのこないお弁当の評判が一人歩きするように、どんどんファンを増やしていったのです。個人へ届けていたお弁当が会社や撮影隊のロケ弁など、団体注文になるまでにそう時間はかかりませんでした。
「当時はロケ弁というと揚げ物一辺倒のイメージがあったからでしょうか、ありがたいことにモデルやタレントさんがいる撮影現場で野菜たっぷりの私のお弁当が重宝がられたのです」
気づけば一度に作るお弁当は30個ほどにもなり、運ぶのもひと苦労に。二足のわらじを履き続けるのも辛くなってきました。
「お弁当の仕事がある日は始発で事務所に行って作っていたんですが、それも20代で若かったからできたんでしょうね」
ちょうどその頃、つながりのあった作家さんの個展でケータリングを引き受けるなど、サービスの幅も広がりつつありました。そんな中、雑誌『MORE』の企画でお弁当ページを担当することになります。
「MORE編集部からよくロケ弁を依頼されていたんです。それで今度お弁当の企画をやるから『ワタナベさん、やらない?』と声をかけてくださって」
それがワタナベマキさんの名前が世に出るきっかけになりました。2005年のことで、掲載されたお弁当は、当時は珍しかった曲げわっぱに詰められたもの。大評判になったといいます。
「その時の誌面をたくさんの編集者が見てくださっていたと後で聞きました。あるお店でケータリングをした時に、MOREのお弁当特集を見ていたヴィレッジブックスの編集者さんもいらして、私の料理を実際に食べてくださって。それで『本を作りましょう、お弁当をテーマにしましょう』というご依頼をいただきました」
こうして、処女作の『サルビア給食室だより』は2006年5月に出版されることに。ワタナベさんが作る料理にぴったりなやさしいトーンのイラストが誌面を彩り、旬の生かし方、食材がもつ本来の味を生かしたレシピ、竹かごや筍の皮、ホーロー容器を使ったスタイリングなど、ワタナベさんのセンスが存分に発揮された誌面が評判を呼びました。
そして間をおかず、主婦と生活社の編集者からも依頼が舞い込みます。2冊目の『サルビア給食室のおいしいおべんとう手帖』は2007年2月に、3冊目のサルビア給食室の週末ストックと毎日のごはん』は2008年2月に出版されました。新人料理家だった渡辺さんですが、ほんの2年の間に3冊もの著書を出す売れっ子になったのです。