
杵島家は料理研究家業をビジネスと考えている
2009年に「弁当男子」という言葉がブームになりました。ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされたほどで、きじまさんにも、母・直美さんの知り合いの編集者から弁当男子をテーマにした本のレシピ制作のオファーがきました。直美さんからも「もう十分できる」と太鼓判を押され、きじまさんは初の著書に挑むことになります。
「本のレシピのヴァリエーションだけでなく、例えばこの本のおかげで、別の弁当をテーマにしたお仕事もいただけました。その時に、依頼されたメディアに合わせて《弁当男子》とは違ったお弁当レシピがきちんと出せたんです。そこからさまざまなお仕事を継続していただくことができました」
きじまさんの初めての著書《弁当男子》(自由国民社、2009年)。当時、ブログやmixiなどのSNSで、男性が自分で作った弁当を会社にもっていく「弁当男子」の投稿が話題になっていました。《弁当男子》には、そうした一般の男性の弁当レシピとともに、きじまさんのオリジナル弁当レシピが掲載されています。
もともと祖母の村上昭子さんの家は呉服屋で商売をしていたこともあり、つねに「お客様は何を求めているか」ということを考えていたといいます。それを母・直美さん、そして孫のきじまさんも受け継いでおり、家業として料理研究家業はクライアントワークと捉えていることが杵島家の強みだといいます。
「雑誌やテレビのお仕事を、視聴者の方の反応を想像しながらやっていた時期もあるんです。でも、結果がどうだったかは僕にはわからなかった。企画意図は、編集者さんやディレクターさんのなかにあるものです。であれば僕は、それにどう寄り添っていいものを作れるかに力を注ぐべきだと思いました。その上で期待されている斜め上くらいまでもっていけるとベストかなと(笑)。独りよがりにならないようにというのはいつも考えています」
予測できない状況だからこそ、みんなで乗り越えていきたい
コロナ禍でテレビの収録や地方のイベントがなくなったきじまさんですが、リモートでテレビ番組に出演したり、YouTubeやInstagramなどの動画配信の仕事がかえって増えてきたといいます。もともと5年ほど前に動画共有サービス「Ustream」用に動画制作をしていたこともあり、個人発信で動画を制作すること自体は慣れていました。しかし一方で、ある程度の経歴がある料理研究家にとっては、YouTubeなどの動画配信に参入するのはリスキーだときじまさんは考えていました。
「YouTuberで人気の方はニッチな部分が強い。一方で、料理研究家ももちろん独自性はありますが、基本はもっとマス(大衆)に向けている人が多いので、苦戦するのではないかと。だけど、コロナ禍で多くの料理研究家さんがYouTubeを始めたら、すぐにチャンネル登録者数20万人を越えたりしてびっくり。ちょっと予測できない状況になっていると感じています」
祖母・昭子さんの時代は、高度経済成長期でした。母・直美さんの時代は一転、バブル崩壊。ライフスタイルがどんどんと変わっていくなか、家庭に寄り添う料理研究家は、時代の影響をかなり強く受けてきた職業でもあります。
「1990年代、バブルが崩壊して世の中がどんどん景気が悪くなりそうな時に、祖母が『忙しくなるわ、これは』って言ったんですよ。景気が悪くなったら家で食べるしかないのだから、その作り方をちゃんと説明できるのは私たち。だから、忙しくなるのよって言ったら本当に忙しくなっちゃって。コロナで変わったことも多いですが、ピンチではなくチャンスなのかもしれません」
コロナ禍をチャンスにするには、料理界がもっと横のつながりを持ち、一緒になってコロナ禍の困難を乗り越えていかないといけないと、きじまさんは言います。
「5月ぐらいにZOOMで料理番組を配信しました。その時に、お金をいただける最低限のクオリティを担保するには、どんな機材でどんな撮影方法をとればいいか考えたことをnoteにまとめてアップしています。こういう知見を僕は独り占めして出し抜こうなんて考えずに、どんどん共有していこうと思っています。みなさんも得意なことを発信しながら、コロナ禍の困難を一緒に乗り越えていましょう!」
祖母・昭子さんの時代から杵島家に伝わる大きな桶。町内会の集まりや祭りの日には、昭子さんがこういった大きな桶やザルに料理を盛り付けて、町内会の人たちにめいっぱい振る舞っていたといいます。