
経験は無駄にならないから、挫折は何度してもいい
さまざまな場所で経験を広げ、そこで出会った人たちとの縁を大切に紡いできたあゆ子さん。「夢は言葉にすると叶うと聞きますし、自分の内だけに秘めていても意味がないから」と、30歳までに独立して自分のお店を持ちたいという夢を、機会があるごとに口に出してきたそうです。そのおかげか、いいご縁あって東麻布に場所が見つかり、予定より3年早い27歳でお菓子教室を、その半年後には妹のまゆ子さんと共に「菓子工房ルスルス」をオープンしました。端から見ると、若くして自分の城を構えた成功者に見えますが、あゆ子さん自身は、挫折や諦めたこともあったと語ります。
「お菓子職人になりたいと思いながら、専門学校を諦めて短大に進学してしまいました。最初に働いたお店では、長い間お菓子職人を続けるというのは素晴らしいことと思いながら、私は体力的にも厳しくて、くじけてしまいました。それから、お菓子を極めるならやはり本場のフランスで学びたいと、フランス留学の準備をしていました。これはまぁ、お店を開くことを選んだからというのが理由ですが、この夢も実現できませんでした」。
でも、それでいいのではないかとあゆ子さんは考えています。あゆ子さんが若い頃から習慣にしてきたのは、未来の夢に向かってどうやって段取りをつけるか、人生を設計する未来年表づくり。環境や条件が変わるたびに年表を見直しながら、今の自分に合った未来を設計しています。
働き方を変えながら、一生続けられる仕事場をつくる
現在は、あゆ子さんが商品づくりと開発、妹のまゆ子さんが接客やその他すべての作業と、役割分担をしてお店を運営しています。あゆ子さんの今の夢は、自分自身だけでなく、妹のまゆ子さんをはじめお店で働く12人のスタッフ全員が、一生働ける基盤をつくることとか。「パティシエという職業を諦めたり、辞めたりという選択肢を取らなくてもいい場所をつくりたい」と言います。どんな状況でもお互いにサポートし合えるチームは、あゆ子さんにとって最も大切な存在。たとえ誰かが一時期職場を離れても、また戻って来られるように、さまざまな工夫をしています。
たとえば、お菓子のレシピを考えるとき、あゆ子さんが大切にしているのが、シンプルで誰にでも作れること。「私にしかできないシグネチャーメニューをつくると、全部を自分でやろうとしてしまい、人に任せることができなくなってしまいます。お店がオープンして5年が経ち、今は信頼できるスタッフが育っていますから、誰がつくってもルスルスのお菓子の味になるようにしています」。
浅草店をオープンしたのも、実家の近くに基盤を持ちたかったから。何でも自分自身でやろうとせず、両親の力も素直に借りています。両親も応援してくれていて、お父様は毎日のように、スタッフのランチとして手作りのおにぎりを、自転車で差し入れに来てくれるとか。「うちは昔から家族の仲がよく、誰かが何かをやるときは、それを応援するのが当然でした。お店をオープンするにあたっては、まゆさんは当然のように加わってくれましたし、兄も、仕事のつながりから、包装紙やショップカードを手掛けるデザイナーを紹介してくれたりしました」。
無理をせず、しなやかにかたちを変えながら、夢を実現してきたあゆ子さん。妊娠していてもパティシエとして働ける姿を見せることができたから、次は子どもがいても働けることを体現したいと言います。
人々の心を和ませるお菓子作りのプロとして、母親として、あゆ子さんの新しい未来年表が書き換えられるのは、もうすぐかもしれません。
編集部追記:このインタビュー後、