それまでサルボさんは、料理をするときにレシピを見るということをしていませんでした。高校時代に学校の事情で親元を離れていたときも、お母様の料理を見よう見まねで作っていたとか。
「母や祖母はもちろん、師事していた叔母からも手取り足取り料理を教わったことはありませんでした。だから実際に食べて、自分の奥から出てくるものをレシピにするといった感覚が昔からありましたし、レシピは食べ手によって変える必要があるとも思っていました」
成績優秀だったことから履修期間が短くなり、8カ月で研修資格を取得。そして、パリ屈指の名門ホテル「オテル・ド・クリヨン」(以下:クリヨン)で働くことに。それは、コルドン在籍中に親しくなった当時のクリヨンのシェフから、サルボさんを採用したいと連絡があったことで叶ったもの。製菓コースを卒業したため書類上はパティスリーでの採用でしたが、パティスリーとキュイジーヌの両方を体験しました。
「街場にもおいしいお店はたくさんありましたが、クリヨンのような格式高い場所にはコルドンのような正規ルートでしか入れません。当時のクリヨンは二ツ星のメインダイニングで、フランス料理界の最高峰。パティスリーのシェフはクリストフ・フェルデールさんで、とてもレベルが高くて学べることも多かったのですが、私は料理人気質だったのでほぼキュイジーヌにいました。厨房にはたくさんの人がいて、毎朝クリーニングルームに行って、真新しいコックコートを身につける。そしてみんなと握手して、朝の挨拶からはじめる。とても紳士的ですよね。使っているお鍋はすべて銅製で、食器はもちろん一流のものだし、カトラリーはクリストフル。サービスマンも一流で、とても貴重な経験ができたと思います」
ホテル内にはセカンドレストラン、パティスリー、バンケットもあり、バラエティ豊かな料理の現場を見ることができたもの、そこを研修先に選んだ理由のひとつ。最高のサービスと最高のスタッフ、最高のお客さんを見せてもらうことができたと付け加えます。
「ギリギリの状態でサービスしていて、すごくいいチームワークで回ったりすると、言葉を超えた信頼関係ができると感じました。厨房に日本人は私だけで、最初は語学力が足りなくてたいした仕事をさせてもらえず、つらい思いもしました。でも、日本人は器用だし気が利いて先回りするから、周囲がだんだんそれに気づいて重宝されて、仕事を任されるようになりました」
家庭を最優先にした料理家人生のスタート
職場に溶け込み、シェフたちとはプライベートでもつき合うほど仲良くなり、毎日が充実。一方で滞在資金が底をつき始め、日本にいる叔母様からも帰国を催促されるようになったのがフランスに渡ってから2年経った頃でした。永住権はなく、フランスに一生いられるわけではない。後ろ髪を引かれながらも日本への帰国を決意して、再び叔母様の元で働くようになりました。
フランスで学んだことを活かして働いて欲しいという叔母様の願いに対して、フランス菓子を生徒たちに月替わりで紹介し、販売をスタート。カヌレやガトーバスクなど、フランス伝統菓子を作り、これが料理の仕事でお金をもらう初めての体験になりました。
「お菓子がやりたかったわけではないのですが、どんな経験も蓄積すれば財産になる。叔母は、クラスを持つこともすすめてくれたのですが、私は裏でサポートするのが好きで、アシスタントが心地よかった。だから期待に応えられないのが心苦しく、結婚を機に一区切りつけさせてもらうことにしました」
その後、しばらくの間は家庭に入っていましたが、料理のスキルを活かさないのはもったいないという旦那様のすすめと、料理を教えて欲しいという人たちの声に押され、自宅でフランス料理のレッスンを開始しました。
また、フランス料理研究家・上野万梨子さんと料理家・有元葉子さんのアシスタントを兼務。2人の実力派料理家に、アシスタントを兼任することを快く了承され、フリーランスの料理アシスタントとしても活動します。それでも仕事はフルタイムではなく、家庭と子育てを優先する時期が長く続きました。
メディアでの初めての仕事は、レシピ本の出版
料理家になるきっかけは、フリーの料理家アシスタントをしていた縁が運んだもの。プロのシェフ向けに販売されていた鋳物ホーロー鍋「ストウブ」を使ったレシピ本の著者として、白羽の矢が立ったのです。
「スタイリストのchizuさんが行っていたケータリングの調理サポートをしていて、そのマネージャーさんの紹介で、私が自宅でストウブを愛用していることを知った当時の代理店の方が声をかけてくれました。その頃、有元さんのお客様の料理を作るなど、料理を振る舞う機会がたびたびあって、多くの仕事はそんな風に私の料理を食べてくれた人がつなげてくれました」
こうして、2008年秋に初のレシピ本『ストウブで作る フレンチの基本 MENU BOOK』(実業之日本社)を出版。chizuさんも制作に参加した今でも色あせないスタイリッシュなレシピ本で、料理をすべて真俯瞰(真上から見下ろしたアングル)で撮った写真は、画期的でした。
「chizuさんがディレクションしてデザイナーも指名してくださり、売れる本を目指したというよりも作りたい本を作らせてもらいました。タイトルで“基本”とうたいながら、内容は本格的なフレンチ。それがベストなら手に入りにくい素材でも使って欲しいといわれ、この本の料理を家庭で作るのはなかなか大変です(笑)。今心掛けている再現性の高いレシピ本とは違ってひとつの作品のようで、手元にとっておきたい、世界観が好きといっていただくことが多く、特に業界の方に受けました」