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30歳で渡仏 家庭最優先の料理家人生

インタビュー
2019年03月13日
フランスの家庭や伝統の味を、その魅力を保ったまま日本でも手軽に再現できるレシピに変換し、著書や料理教室を通じて伝え続ける料理家のサルボ恭子さん。フランス仕込みの洗練された手法と世界観は、女性のみならずワインや料理好きで意識の高い男性からも支持されています。そんなサルボさんが大切にしているモノ・コトから、センスの秘密を探ります。 >>あの人気料理家も登場! これまでの記事はこちら

食べる経験を積み、食べ手としての意識を磨いた子ども時代


サルボさんが大切にしている『赤毛のアンの手作り絵本』。アンがマリラに習ったような、料理や手芸を学べる手作り本です。カナダの家庭料理やお茶会に心惹かれ、その本を見ながら料理やお菓子作りをしていたというサルボさんですが、もともとは作るのではなく食べることが好きだったといいます。
「母や母方の祖母、母の姉妹が揃って料理好き。母や祖母が作る日々のご飯は和食でしたが、ハンバーグやミートローフ、ローストチキンなどの洋食の日もあり、さまざまな料理やお菓子を作って食べさせてくれました。料理はもちろん、作ってくれる風景、音、匂いが大好きで、家庭人として料理をする母や祖母に憧れていました」

またご両親は、サルボさんと妹さんを連れて、頻繁に外食。これは勉強を強制しなかったご両親から、唯一厳しくしつけられた“食べるレッスン”。由緒あるレストランに頻繁に連れられ、幼稚園に入る前からナイフとフォークが使えることを求められました。
「大事なのは形式だけじゃなくて、おいしい物を作ってもらってそれを口にする食べ手としての意識。食べたいものを食べてもいいって言われるのですが、自分が取ったものを残すと怒られる。“食べたいけれど、小さくしてもらえませんか?” まで自分で言わなければなりません。スープを注いでもらうときは、“半分でお願いします”とか“もう要りません”と伝える。そうしないと、一度注がれたものはすべて飲み干さなければなりませんでした」

自分にしかできないことって?


料理の世界に入ったのは、20代の終わり。料理家になろうと思ったことはなかったものの、料理の世界には自分の意志で足を踏み入れたときっぱり。大学卒業後は、好きだった英語を活かして貿易の仕事をしていましたが、多くの女性が結婚か仕事のどちらを優先するかを考える時期に、自分の人生を見つめ直したといいます。
「財閥系メーカー本社にいて、やりがいもありました。でも、その職場は女性の総合職がなく、女性はほぼみんな20代後半で寿退社。仕事を続けたくても限りがあり、自分はどうしようかと、ずっと悩んでいました。結婚の話があったり、仕事も面白かったりしたのですが、代わりが利かない私にしかできないことって何があるんだろう?と考えたときに、“食べることが好き”ということしか思い浮かびませんでした」
身近で料理の仕事をしていた唯一の存在が、本格的なフランス料理の教室を営んでいた叔母様。ずっと英語が好きで、フランス語には拒絶反応すら抱いていたというサルボさんが、フランス料理と結びついたのはこのときでした。会社を辞め、叔母様に弟子入りしたのが27歳。遅いスタートだったと振り返ります。
「最初に叔母は“厳しいわよ”と言っていたのですが、本当にその通りで(笑)。求められるように動けないと、生徒さんがいる前でも怒られる。身内だからこそ、余計に厳しくされました。でもその分、料理を体で覚えることができた。子どもの頃から食べさせてきてもらったような料理を、実際に叔母が作り、レシピ化して、家でも作れるようにしているのを間近で見て、すごく勉強になりましたね。そのうち、これからずっとフランス料理の世界にいるなら、その本場や現場を知るべきじゃないかという気持ちが芽生えてきて。その先どうしたいとか遠い先のことを考えたわけじゃなく、そう思ったら前に突き進む気持ちになって、叔母に相談しながらアシスタントの合間に派遣社員として働き、渡航費用を貯めました」

一流のフランス料理の現場に身を置く


30歳でフランスに渡り、ル・コルドン・ブルー・パリ(以下:コルドン)に入学。それは、学校の授業が目的だったわけではなく、フランスで働くため。年齢、性別、語学力、伝手、そのすべてで満足な条件を持ち合わせていなかったと話すサルボさんは、どういうステップを踏めばよいかを模索。料理学校に入ればビザが下り、コルドンでは上級コースを終えると研修制度の資格がもらえることがわかりました。
「最初は料理のコースをとっていたのですが、フランス料理は日本で叔母に厳しく教えられていたので新しく得られることはあまりなく、途中でお菓子に変更しました。それまで料理優先でフランス菓子をしっかりやってこなかった分、せっかくなら苦手なお菓子を勉強しようと。でも、実は学校で料理やお菓子を習うことが、私の価値観とはちょっと違っていて。コルドンで教わるレシピは、あくまでコルドンのもの。それよりは、レストランを食べ歩いたり、食材を買って、自分で切って食べてみたり料理してみたりっていうことの方が、私には意味がありました」

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撮影/大木慎太郎 取材・文/江原裕子

サルボ恭子さん
料理家。東京生まれ。フレンチの料理家である叔母に師事し、2000年に渡仏。「ル・コルドン・ブルー・パリ」を経て、「オテル・ド・クリヨン」のメインダインニングのキッチンとパティスリーで研鑽を積む。帰国後、フリーの料理家アシスタントをしながら、自宅にて料理教室を主宰。2008年末に初の料理本『ストウブで作る フレンチの基本 MENU BOOK』(実業之日本社)を上梓。現在は、料理本の制作、W料理教室のほか、メディアや企業へのレシピ提案など、料理家として幅広く活動。著書に『夜9時からの 飲める ちょいメシ』(家の光協会)、『作りおき オードヴル』(朝日新聞出版)、『「ストウブ」だからおいしい、毎日レシピ』(河出書房新社)など多数。
https://www.instagram.com/kyokosalbot/
https://www.facebook.com/kyokosalbotofficial/

フランス料理をはじめ、幅広いジャンルのレシピ本を手掛けるサルボさん。左から、“塩、こしょう、水を除き材料は5つ以内”、“作り方は3ステップ”という、簡単でおもてなしにもなるフランス料理のレシピ本『いちばんやさしいシンプルフレンチ』(世界文化社)。前菜からメイン、スープ、デザートも紹介。『サルボ恭子のスープ』(東京書籍)は、スープストックを使わず、素材のうま味が溶け込む滋味にあふれたスープの教科書。『おかずは3品でOK! サルボさん家の毎日弁当』(講談社)は、食卓のおかずやおつまみにもなる全142のレシピ集。作り置きを活用しながら、負担になりがちなお弁当作りを無理なく続けられるルールと共に紹介。

1980年代、多くの少女たちを魅了した『赤毛のアンの手作り絵本1~3』(絶版)は、子どもの頃から今でもとても大切にしている特別な本。カナダのプリンスエドワード島・グリーンゲイブルスを舞台にした「赤毛のアン」のエピソードをモチーフに、ストーリーにちなんだ料理や手芸を教える手作り本です。「親族がこの本の料理を担当された城戸崎愛先生に料理を習っていて、私と妹の名前付きでサイン本をプレゼントしてくださって。アンの世界観や、物語に登場する料理やお菓子、刺繍などが大好きで、何度も何度もページをめくりました。ハードカバーで、中身もしっかりと丁寧に作られていて、本が全盛だった時代の書籍はすごくいいなぁと実感します」

スパイスやナッツ、ドライハーブなどの保存に愛用している、フランス・シャンパーニュ地方生まれの「ル・パルフェ」の密封ビン。実用的かつ、どんなキッチンにもなじむシンプルで美形なルックスで、フランスはもちろん今や世界中で愛されるロングセラー。