Quintessence(カンテサンス)オーナーシェフ 岸田周三さん【私の駆け出し時代】

2006年5月、品書きが一切ない真っ白なメニュー「カルトブランシュ」に象徴される革新的なレストランをオープンし、日本のガストロノミー界に鮮やかに登場した岸田周三さん。その翌年には、現役最年少で『ミシュランガイド東京』の創刊号において三ツ星を獲得。以来現在まで、日本を代表するフランス料理店のオーナーシェフとしてトップを走り続けています。「大好きな日本で、世界のどこにもない店をつくりたい」という夢を実現し、日本のみならず世界に名を馳せた今も他の追随を許さず、独自のスタイルで進化を続ける岸田さんに、料理人としての哲学を伺います。

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2019年06月27日

少年の人生を決めた「鮑のステーキ」との出合い

愛知県ののどかな地方都市で、3人兄弟の末っ子として生まれた岸田さん。小学校時代、両親が共働きで忙しかったため、兄弟で家事を手伝うことになったのが料理を始めるきっかけでした。「兄ふたりは料理にまったく興味を持たず、僕だけが積極的に料理をしていました。すると母親に感謝される。それが嬉しくてどんどん料理にはまった一面もあります。でもまぁ、生まれつき向いていたのでしょうね」。

食への関心が深まるにつれ、食をテーマにした書籍や漫画を手に取るようになりました。なかでも心を奪われたのは、三重県の志摩観光ホテル「ラ・メール」で、当時総料理長を務めていた高橋忠之さんと、第11代目帝国ホテル総料理長の村上信夫さんの対談です。「高橋さんは、29歳の若さで料理長に就任し、地元の食材を使った料理を、東京やパリといった大都市ではなく、志摩から世界に発信して評価されていました。すごいな、料理でそんなことができるのかと、高橋さんの活躍に憧れました」

そんな少年をさらに熱くさせたのが、漫画『美味しんぼ』(小学館)で描かれた「鮑のステーキ」です。「この料理をどうしても食べてみたい」という岸田さんの強い願いが叶い、家族旅行で志摩観光ホテルを訪れたのは、中学生のときのこと。「これまで食べたことのないレベルのおいしさ」だった鮑のステーキを味わい、憧れの高橋料理長の姿を見た岸田さんは、この旅行で「いつか料理人としてここで働きたい」という将来の目標がはっきり定まったと言います。

いつ何をするべきか。目標から逆算して今やることを選ぶ

小学生の頃から料理人としての未来を思い描き、中学生では働きたい職場まで具体的にイメージしていた岸田さん。迷うことなく料理の専門学校に進学します。「学校を卒業したら、志摩観光ホテルのラ・メールで高橋料理長と働きたい」という目標に向かって、在学中に夏休みを利用してラ・メールでアルバイトをするなど、着実に歩みを進めました。

ラ・メールで働き始めたときには、「30歳で料理長にならなければ」という次のステージが見えていたとか。「高橋さんは29歳で料理長になっています。また、高橋さんから直接言われたわけではありませんが、『料理人は30歳で料理長にならなければ先はない』という言葉もあります。30歳という年齢が、常に頭にありました」

「ラ・メール」では憧れの料理長のもと、地元の食材が持つ可能性を引き出した独創的なフランス料理を習得しました。一方で、30歳で料理長になるには、フランス料理の礎となる古典料理をより幅広く学びたいという思いもあったそうです。次のステップに進もうと、休みのたびに上京してはいくつも名店を食べ歩き、「ここで働きたい」と感じたのが、東京・恵比寿(現在は銀座に移転)の「カーエム」でした。

ここでの修業時代は、競争社会のなかでの下積み生活でしたが、岸田さんの目標が揺るぐことはありませんでした。フランス料理人として生きるからには、フランスでしっかり修業したい。滞在に3年間を充てるなら、30歳で料理長になるには27歳で渡仏していなければならない。となると26歳までにはフランス語を勉強したい。そう計算して、ハードな生活にもかかわらず、週に一度は語学学校に通ってフランス語を勉強していたそうです。

金銭的なリスクより、時間や機会の損失リスクが怖い

こうして2000年、26歳の岸田さんはフランスへ飛び立ちました。まだ駆け出しの若い料理人だったゆえ給料も高いとは言いがたく、コツコツと貯金した全財産はおよそ30万円。フランスのシェフとのネットワークもなく、働き口の紹介もなく、片道切符だけを持った旅立ちです。
「せっかくフランスに行くのだから、古典料理や郷土料理といったいろいろな料理を学ぶのはもちろん、カジュアルなビストロから星付きの高級店まで、さまざまな店のオペレーションも見たいと考えました」。

「ネットワークに頼るのではなく、この店やシェフから学びたいという場所を自分で選びたかった」という岸田さんがまず始めたのは、上京した時と同じく、気になるレストランの食べ歩きです。飛び込みで働き口を獲得した、地元の人で賑わうパリのブラッスリー「シェ・ミシェル」を皮切りに、パリの一ツ星レストラン、二ツ星レストラン、南仏の三ツ星オーベルジュなどさまざまな業態を経験。ついにパリ16区の「アストランス」(現在三ツ星、当時一ツ星)のシェフ、パスカル・バルボ氏に出合いました。

パスカル・バルボ氏の信頼を得て、スーシェフにまで登り詰め、星の数がどんどん増えていく時代を共に築き、惜しまれつつ帰国の道を選んだ岸田さん。その後の華々しい活躍は、誰もが知るところです。
けれども、そもそも誰も知り合いのいないフランスで、貯金を切り崩しながらの食べ歩き生活に不安はなかったのでしょうか。

当時の岸田さんを支えていたのは、ふたつの強い思いでした。ひとつは、日本での修業経験に基づく自分への信頼です。「東京での仕事は厳しかったですが、これ以上できないほど懸命に働き、技術を習得したという自信がありました。フランス語はまだ初級レベルだったので、現地の料理人に言葉では敵わないかもしれないけれど、僕のように働けるフランス人はいないだろうから、負けるはずがないと思っていました」
そしてもうひとつが、時間や機会を失うことへの恐れです。「僕のような渡仏のしかたは、確かにリスクが大きく、先が見えない不安もあります。一方で、引き続き東京で働きながら、不安がなくなるまでもっと貯金をして、ネットワークを見つけてからいつか行きたいと思っていたら、時間や機会をロスするリスクが大きくなるわけです。30歳で料理長になりたかった僕にとって、行って失敗するリスクより、時間やタイミングを失うリスクがもっとも怖いものでした」

いつも未来に視点を置き、そこから現在へと逆算するような岸田さんの考え方は、この頃からすでに確立されていました。その視点をもって、岸田さんが今「未来から見て危機的な状況にある」として積極的に向き合っているのが、海を守る活動です。

これを読んでいるあなたと共に、海の未来を考えたい

岸田さんは今、食の将来のためにやらなければならない大切なこととして、サステナブルなシーフードを始めとする海の資源保護活動に取り組んでいます。東京のトップシェフ30人以上と、食を専門とするジャーナリストで構成されたグループ「Chefs for the Blue(シェフス・フォー・ザ・ブルー)」の主要メンバーのひとりとして、日本の海とその恩恵であるシーフードが抱える問題を、積極的に発信しています。

日本に帰国して以来、料理人としてほぼ毎日シーフードに触れてきた岸田さんは、日本の水産資源が危機的状況にさらされていることを、肌で感じてきました。
たとえば岸田さんが大好きで、多くのお客様にそのおいしさをお届けしたいという、脂ののった2kg以上の大型のキンメダイ。「カンテサンス」を開店した当初は安定して入荷できていたこの魚も、年を追うごとに手に入れられる数が減り、サイズは小さくなり、身質も低下しつつあるそうです。
「僕たち料理人は、日本の水産資源の現状を正しく知り、それをお客様に直接お伝えすることができます。ですから専門家をお招きして学び、それを発信する活動をしています」

けれども状況は思った以上に深刻で、もはや志のあるシェフや漁業関係者が、個人で活動するだけでは食い止められないという現実に直面しています。
「水産資源の枯渇は、いまや世界的な問題です。これを解決するには、国が動き、国同士で現状を認識して、国際的なルールを定める必要があります。けれども国は、僕たちシェフ仲間のグループが声を上げただけでは動きません。国は国民の総意のもとに動くものですから、当たり前ですよね。だからこそ、国民の総意として、みんなにも声を上げてほしいのです」

「このインタビュー記事を読んでくれる方は、食を仕事にしていたり、食に関心が高かったりする方だと思います。つまりシーフードが身近にある。そんな身近な海の恵みについて関心を持ってほしい。そして小さなアクションを起こしてほしい。たとえばソーシャルメディアで気になる記事をシェアしたり、いいね!を押したりするだけでも、それが重なれば大きなムーブメントに繋がるかもしれません。
それをお願いすることが、僕が今日ここでお話しようと決めた理由です」

これを読んでいるひとりひとりが、岸田さんのような社会活動をすることは、難しいかもしれません。けれどもちょっと声を上げるだけなら、きっと誰にでもできるはず。まずは岸田さんを中心に、「Chefs for the Blue(シェフス・フォー・ザ・ブルー)」の活動を見守って、小さないいね!をしてみませんか。

撮影/大木慎太郎 取材・文/江藤詩文

岸田周三(キシダ シュウゾウ)さん
1974年、愛知県生まれ。名古屋市の専門学校を卒業後、三重県の志摩観光ホテルに入社。「ラ・メール」でフランス料理人としてのキャリアをスタートする。東京の「カーエム」で約4年間研鑽を積み、2000年に26歳で渡仏。フランス各地の星付きの名店を経て、パリ「アストランス」に入店。パスカル・バルボ氏に師事し、スーシェフを務める。2006年に帰国して「カンテサンス」をオープン。翌2007年に創刊した『ミシュランガイド東京』では、現役最年少(当時)の33歳で三ツ星を獲得。以来12年間、三ツ星を維持している。2011年、独立してオーナーシェフに。2013年、店舗を現在の品川区に移転。料理人として日本のフランス料理界をリードするほか、水産資源の保護など食を取り巻く環境問題にも積極的に取り組んでいる。

カンテサンス
品川区北品川6-7-29
ガーデンシティ品川 御殿山 1階
Tel : 03-6277-0090 (予約専用)
http://www.quintessence.jp/


カンテサンスのスペシャリテとして有名な「山羊乳のバヴァロワ」。料理の主役は、味の基本となるオリーブオイルと塩。一期一会を大切に、お客様の過去のデータを管理して、同じメニューは出さない方針の岸田さんが作り続ける、数少ない定番のひと皿です(写真は岸田さん提供)。


「このおいしさをいつまでも守りたい」という思いでつくる「キンメダイのロースト」。上品な脂ののったキンメダイの味わいは、岸田さんにとって格別とか。白いんげん豆を付け合わせ、ドイツの黒パンを使ったソースとバターソースで仕上げています(写真は岸田さん提供)。


もうすっかり小さくなってしまった肉用ナイフ。フランス時代の師パスカル・バルボ氏から贈られた大切な宝物です。低温長時間ローストで、最上質の肉だけが持つ繊細な風味を引き出したオリジナルの火入れ方は、アストランス時代にバルボ氏から学びました。


カンテサンスのメニューは、岸田さんの思いだけが紡がれ、料理名の部分は白紙の「カルトブランシュ」。その日のお客様のためだけに用意した食材に敬意をはらい、徹底的に使い切るというプロセスは、カンテサンス開店以来一貫して守られています。


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