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食から離れなければ、何でもできる

インタビュー
2018年07月12日

季節の素材の魅力を引き出し、シンプルに味わう料理を得意とする渡辺有子さん。ていねいな暮らしぶりやセンスある器づかいなど、そのライフスタイルも常に注目されています。ナチュラルなのにスタイリッシュ。そして、物事の本質を大切にしている料理やそのスタイルを形づくってきた歩みを聞きました。
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キャリアを重ね、新たなステージへ


これまで、メディアを通じて料理やそれにまつわる周辺のモノやコトを発信してきた渡辺さんですが、ここ数年の間にアトリエを構えて料理教室をスタートし、厳選した器やカトラリー、エプロン、そしてオリジナルのフードなどが購入できるセレクトショップをオープン。生徒やお客さんと直接触れ合える時間と場所を持つようになった、その心境の変化を尋ねてみました。
「これは自発的というよりも、夫に促されてというところがありました。数年前までの私は、雑誌や書籍のお仕事をいただいて料理家としてやってこられて、これからもそんなふうに続けていこうと、何の疑いもなく思っていました。それなのに、ある日突然夫に、『まだまだやれることがたくさんあるのに、なんで何もやらないの?』って言われて、『え? 私、何もやってないの?』ってびっくりして(笑)」
旦那さまの言葉の真意は、“もっといろいろなことができる実力を持っているのに、それを出し切らないのはもったいない”ということ。腰が重く、考えて慎重に動くタイプを自認する渡辺さんですが、その言葉に背中を押され、新たな一歩を踏み出そうと考えを巡らせた末に、人とつながれる場所を持つことを決めたといいます。
「これまでは、雑誌や本などでしか料理を発表していなかったので、私の料理がどう受け止められているかを知る術がありませんでした。でも、教室では生徒さんから直に感想を聞けて、自分が伝えたいことも明確になる。雑誌や書籍だけでは見えなかった部分を、もう一度見直すきっかけにもなりました。はじめたときは不安しかありませんでしたが、そんな心配はまったくいらなかったというくらい、生徒さんとのつながりがありがたいですね」
教えることに重点が置かれるレッスンでは、段取りもレシピの制作プロセスも、メディアの現場とはまったく異なると、渡辺さん。特に、メニュー出しにはとても苦労をしているといいます。そこには、生徒たちに日々のためになることをできるだけ得て帰って欲しいという強い想いが込められています。
「季節を先取りする雑誌と違い、料理教室のレシピは材料がそのときにちゃんとスーパーに並んでいて、翌月くらいまで作れるものが望ましい。そして、食材や調理法について、なぜこれを選んだかという理由が明確でなければなりません。一品一品においしく作れるポイントや調理に関する気づきをたくさん散りばめたいですし、前菜、メイン、デザート…という組み合わせ全体にも意味を持たせたい。また、みんなが作りやすく、家でも繰り返し作ってもらえる料理を伝えたいけれど、すでに知っているという内容では困るし、新しいことも織り交ぜる必要がある。とにかくポイントがたくさんあって、最終的に今回はこのメニューでいこうと確信が持てるまで、熟考に熟考を重ねています」

食から離れなければ、何でもできる


自然体な渡辺さんは、仕事についてもこれまでは自然な流れのなかで前に進んできました。それが、ここ数年の活動範囲や触れ合う人たちの広がりによって、そのスタイルを貫きながらも、新たなチャレンジをすることに肯定的になっています。
「料理家の枠は自分でもっと広げられるんじゃないか、料理家としてできることはまだまだあると思うようになり、やってみるようになりました。時間ってあるようでいて有限。だから、やりたいと思うことはどんどんやっていかないと。それに、食から離れなければ何でもできるのが料理家。いつか、子どもとお年寄りのために、食にまつわる何かをできたらとずっと考えています。自分で食べたいものを調達できる年代の人たちと比べて、子どもやお年寄りはその機会が持ちにくい。だから、彼らがおいしいものを食べて、幸せだなぁ思って過ごしてもらえるような場所を作りたいんです」
一方で、旅に出たり、器のことを調べたり、美術館に行ったりといった引き出しを増やすために使っていた時間は、以前ほど積極的には行わなくなったといいます。大きい心境の変化があったわけではなく、これも自然な流れ。これまでの蓄積をベースに、ゆるやかに積み上げていきたいと話す有子さんは、キャリアを重ねたことで、インプットからアウトプットへと仕事の比重が移りつつあるのかもしれません。
「私は専門が家庭料理で、季節のものをきちんと伝えたいという想いは変わりませんが、日々の食の大事さを堅苦しくなく伝えていきたいと思っています。今、食に興味を持つ人と持たない人が二極化してきている。でも、食べることがただの栄養をとる行為ではありたくないし、どちらの方向にも行き過ぎることなく、あたり前の家庭の味とその良さを伝えたい。食べる人のことを思って作るとか、シンプルだけど大切なことはたくさんあります。料理が天職なのか考えてみたこともありませんが、私には料理の仕事しかないな、とは思っています」

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撮影/福田喜一 取材・文/江原裕子

渡辺有子(ワタナベ ユウコ)
料理家。東京生まれ。書籍や雑誌、広告など、メディアを中心に活躍。季節の素材をいかしたシンプルながらも上質な料理に定評がある。ナチュラルなライフスタイルも人気で、レシピのほか、器などのツール、着こなし、暮らしにまつわる連載も手掛ける。2015年にアトリエ「FOOD FOR THOUGHT(フードフォーソート)」を立ち上げ、料理教室や食にまつわるイベントを開催。2017年には同名のセレクトショップをオープン。

レシピ本を中心に著書も多数。有子さんの世界観が形になっていて、女性はもちろん、上質な暮らしを求める男性にも人気です。5月に発売になった『料理と私』(晶文社)は、そんな有子さんの料理との付き合い方や人生観までが詰まった、キャリアの集大成ともいえる書き下ろしのエッセイ集。

「季節の瓶詰め(3本セット)」は、有子さんが手掛けるショップ「FOOD FOR THOUGHT(フードフォーソート)」のオリジナル。フルーツのジャムや野菜のピクルス、豆のマリネなど、その時期に最高の旬の味わいを詰め込んでいる。商品に関する問い合わせはHPから。FOOD FOR THOUGHT

金沢の作家、竹俣勇壱さんの「サーバースプーン」は、持ち手の短さと薄さ、つぼの深さのバランスが絶妙で、使い勝手抜群の愛用ツール。「お鍋から何かをすくったり、炒め物をしたり、取り分け用にお皿に添えたりと、キッチンでもテーブルでも使える。気がつけばこればかり手に取っています」