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日本とフランスの距離をお菓子で縮める

インタビュー
2018年05月10日

インターネットが普及しておらず、海外の情報が入手しにくかった90年代半ばから、フランス食文化の魅力を発信し続けてきた大森由紀子さん。日本におけるフランス伝統菓子と地方菓子研究の第一人者で、世界各地のキーマンたちとの華麗なるコネクションを持つ大森さんですが、誰もがうらやむような実績や道筋は、その稀に見る行動力と勤勉さで築き上げたものでした。
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やる気と実績で現地に溶け込む

周囲に受け入れられ、居場所ができていくうちに、渡仏時に感じた不安はすっかり消えていたという大森さん。学校では、時間とお金に余裕があるから留学したというのんびりした日本女性も多い中、“実力で勝負!”と心に決めて学んでいました。
「試験前は何度も練習して、本番で作った料理やお菓子を味見したシェフに『うまいじゃん』って言ってもらって、少しずつ認めてもらいながら仲良くなりました。講師のシェフたちはかわいい日本人女性が好きだけど(笑)、私は媚びるのが嫌だったんです。その世界で生きていくには、何かで表現をして、認めてもらう必要がある。それには自分から心を開き、行動するしかありません。フランスは、真摯に対応して真面目に学ぶ姿勢を見せれば、広く受け入れてくれる土壌。料理以外のことでも、やる気さえあれば花が咲く場所なんです」

チャンスは逃さず、可能性を広げる


フランスでひたすら食に向き合った濃密な2年を過ごした後、帰国。友人の紹介で雑誌のライターの仕事を得ます。書くことが得意だったわけではないものの、しっかり下調べをして臨んだ取材は好評で、その後も執筆の仕事は増える一方。食関連とはいえ企業の社員食堂取材や食品メーカーの社長インタビューなど、フランスで学んだ知識が活かせないものばかりでしたが、期待に応えようと真摯に取り組むうちに、記事を読んだ食品関連企業から仕事の依頼が舞い込むようになります。
「ある乳製品メーカーでは顧問に抜擢され、自社商品の販促用レシピ開発を担当しました。乳製品と、フランスで出合った地方菓子とを結びつけてレシピを作り、商品に添えてお菓子屋さんに売り歩くんです。たとえば『クレームラフィネ』という発酵させた硬さのあるクリームを使って、スイスの三ツ星レストラン『ジラルデ』で食べて感動した『タルト・ヴォードワーズ』というお菓子を再現して紹介したら、『KIHACHI』さんで作ってくれました。『パティシエ・シマ』の島田シェフも似たようなお菓子を作ってくれましたね」

縁がつないだフランス地方菓子との出合い

執筆活動で実績を重ねた大森さんは、知人を通じ、書籍執筆の打診を受けます。フランス菓子の中でも日本人になじみの薄かった地方菓子の企画で、この本こそが大森さんをフランス伝統菓子と地方菓子の世界に導き、1995年に出版された初の著書『フランスお菓子紀行』(NTT出版)です。執筆にあたりフランス取材を敢行。準備に3カ月をかけ、緻密な取材を行いました。
「フランスから資料を取り寄せて、ユーレイルパス(ヨーロッパ鉄道均一周遊券)を買って、乗り継ぎや最寄り駅、到着時間、お店までの距離など、すべて事前に細かく調べ上げました。どこで取材し、誰に会って、何を聞くかも決めておき、フランスの知り合いみんなに手紙を出して『○月×日に着くから、お母さんに頼んで現地の料理を作ってもらえない?』ってお願いしたり。知り合いの知り合いの知り合いまで辿って(笑)、元料理人のお宅にもお邪魔しました。なまじっかな知識では相手にされないのですが、『私はこういうことを調べていて、自分でも試したけれどここがうまくいかなかったの!』って具体的に話すと、『そこまで知っているなら手の内を明かそう』って教えてくれて、ワッフル型までくださって。アルザスからシャンパーニュ、南仏、サヴォワと巡り、だんだん地方菓子のことがわかるようになりました」

ライフワークを見つけ、独自のカラーを確立

大森さんがお菓子教室を始めたのも、執筆活動がきっかけ。チョコレートメーカーが発行した小冊子の記事を見た人から「教室はやっていないんですか?」という問い合わせを受け、お菓子教室をオープン。生徒が増えるにつれて規模が大きくなり、やがてフランスの惣菜レッスンもスタート。10数年前に現在の場所に教室を構え、今は週末を中心にレッスンを行っています。
「教室では、作り方だけじゃなくて食べ物の由来や文化的背景、エピソードなども伝えるようにしていて、それが私の持ち味。私は料理家というよりも、フランスの食文化を伝えるのが自分の役目だと自覚していて、フランスのおいしいお菓子や惣菜を知ってもらい、喜ばれるのがうれしいんです。地方菓子は単純で、混ぜて焼くだけというものも多いのですが、それぞれにストーリーがあって意味のあるお菓子。混ぜて焼くだけでも、10人いればでき上がりは全部違うの。混ぜる回数も力の入れ方も違うし、本当に面白いですよ」

自分のやり方、自分の味で生きていく

レッスンや出版、講演などを通じて、フランス地方菓子の温かみのある魅力を伝え、日本とフランスの距離を縮めた大森さん。大森さんの著書を見てフランスの地方に足を運ぶ日本人も増加し、フランス各地の地域おこしにも貢献してきました。その功績を称え、2016年にはフランス政府から「農事功労章シュバリエ勲章」を受勲。
「成功に王道はありません。その方法は自分で見つけなきゃダメなの。私がそうだったのですが、自分の得意なことの中から、今まで誰もやっていなくて、“これなら私のもの”っていえるものを見つけるのがいいかもしれませんね。あとは“情熱”! 絶対に伝えたいことを見つけ出せるかどうか、そしてそれをいつまで持ち続けられるかですね。私はフランスの現状とお菓子を知って欲しくて、パリだけじゃないんだよってことを伝えたかった。そしてそれがライフワークになりました。今の時代は何でもあるから誰もやっていないことを見つけるのは難しいかもしれないけれど、それでも個性を出せる取り組みをして欲しい。料理家は、自分のやり方と自分の味でやっていくしかありませんから」
そんな大森さんには新たな野望が。「フランス人にフランスの地方菓子を教えること。シェフですら自分の地方の食べ物しか知らないから、日本人の私が知ったかぶって教えるの(笑)! 私がフランスの地名を口にしたときに、反応してその土地のお菓子の名前を出すのはエルメさんくらいなんですよ」。これまで、数々の前例のないことを成し遂げてきた大森さん。日本人によるフランス人のためのフランス地方菓子レッスンをスタートする日は、そう遠くないでしょう。

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撮影/平松唯加子  取材・文/江原裕子

大森由紀子(オオモリ ユキコ)
フランス菓子・料理研究家。学習院大学フランス文学科卒。パリ国立銀行東京支店勤務後、パリの料理学校で料理とお菓子を学ぶ。フランスの伝統菓子や地方菓子といったストーリーのあるお菓子や、田舎や日常で作られる惣菜などを、雑誌、書籍、テレビなどのメディアを通じて紹介。フランス伝統菓子の魅力を伝える「ル・クラブ・ド・ラ・ガレット・デ・ロワ」の理事、貝印主催の「スイーツ甲子園」審査員&コーディネーターを務める。2016年フランス共和国より農事功労賞シュバリエ勲章を受勲。「フランス地方のおそうざい」(柴田書店)、「わたしのフランス地方菓子」(柴田書店)、「パリのお菓子屋さんガイド」(柴田書店)など著書多数。

お菓子のレシピ本から惣菜の調理本、ガイドブック、エッセイまで、30タイトルを優に超える著書の数々。そのほとんどがフランス関連の著作で、大森さんにしか語れない密度の濃い情報やレシピの数々に、プロの料理人やシェフ、百貨店のバイヤーなどのバイブルとなっているベストセラーも数知れず。

フランスのアルザス(ロレーヌ)地方で手に入れた「クグロフ」型(左)と「アニョー・パスカル」(右)。クグロフはアルザス伝統の発酵生地のパン菓子、アニョー・パスカルは復活祭に食べる仔羊型の行事菓子で、どちらもアルザス由来の地方菓子。地元のブーランジェで長く使い込まれた型を譲り受けたもの。

貝印が2013年に発売して好評を博した「TOKYO sweets(トーキョースイーツ)」シリーズのひとつ。スプーン型のタルトが焼けるシリコーン型と、スプーンの形の抜き型がセットになった「ONEスプーンオードブルセット」(貝印)。大森さんは付属のレシピカードを監修し、くぼみ部分にトッピングをのせて丸ごと食べられるオシャレなオードブルなどを紹介。(※現在は販売しておりません)

同じく大森さんがレシピを監修した「TOKYO sweets」シリーズの「キュービックセット」(貝印)。ミニキューブ型のパンが焼け、付属の専用ナイフを使って中をくり抜けば食べる器が作れるかわいくて便利な型。発売から5年経った今で見ても魅力的なルックスの、SNS映えするレシピを考案。(※現在は販売しておりません)