
信頼でつながったお客様だからこそ「裏切りたくない」
ここのつは、毎月1日の朝8時に次の月の予約を受け付けますが、開始1分でおよそ150席がすべて埋まってしまいます。予約が取れない茶寮として噂が広がり、「体験してみたい」という声がSNSに溢れています。当然、出店やプロデュースの依頼もありますが、溝口さんは浅草・鳥越に来てもらうゲストを優先して規模を広げることをしません。「シンプルでいたいんです」と、今のままのスケールがいいと溝口さんは言います。
「面倒くさいことが嫌い。というのもあるんですけど(笑)、大人数が絡まってくると本来あったものが薄まり、変わってしまうんですよね。絵の具もそうですけど、いろんな色が混ざり合うと違う色になってしまうじゃないですか。それだと、もともとあったものが見えなくなってしまう。見失いたくないんです。だから自分のできる範囲でやっていきたい」
ここのつでは、ゲスト同士が話す場所ではないため、2名以上の予約は受けておらず、食事中の写真撮影は禁止。現代の外食シーンでは、不自由ともいえるレギュレーションをゲストに求めるのは、茶寮を十分に楽しんでもらうためです。真摯に食材を扱い、もっともおいしい瞬間に合わせてテーブルに運ぶ。皿の中で移ろう季節の一瞬を逃さず感じてもらうためには、少しの緊張感が必要なのではないでしょうか。
「私とお客様の間には、茶寮で積み重ねた信頼関係があります。私は、その信頼を裏切ってはいけない。お客様が糧菓を召し上がって、ゆっくりと心を整えてお帰りになる。そんな場所がここのつなのだと思います。舞台や映画のような場所でありたいですね」
「私は、ジャムおばさんになりたいんです」と笑う溝口さん。顔を食べられてボロボロになって帰ってきたアンパンマンを、新しい顔を用意して迎えるジャムおじさんのように、日々の生活に疲れた人を癒す糧菓を用意し続けたい、と溝口さんはいいます。
料理と菓子の間で「りょうか」という音は先に決まっていた中で、ある一定の大きさである「糧(りょう)」だけでなく、生活の「糧(かて)」という意味もある「糧」の字をあてることになったという。
台東区鳥越の下町にある一軒家にここのつがある。1階のダイニングには5席のテーブルが並び、その奥に台所がある。棚には溝口さんが好きな器が並ぶ。