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一つの食材に特化して差別化を図る方法

スキルアップ
2020年01月21日

いま、飲食業界には、テクノロジーの進化によって様々な変化が訪れています。料理を取り巻く最新の動向にくまなくアンテナを張ることは、時流にきちんと乗った料理家への近道です。本連載では、料理にまつわる話題の取り組みや料理教室運営方法のノウハウなどをお伝えしていきます。調理技術を磨くと同時に、情報をアップデートし、“できる料理家”を目指しましょう。

30歳で迎えた新年に「パクチーボーイ」宣言

帰国したエダジュンさんはさっそく、ブログを開設します。第1回目の投稿は、28歳の夏。「25歳からはじめる男子料理 Blogstart」というタイトルでした。しかし、料理研究家になろうにも、コネや人脈はまったくなく、ブログのアクセス数もなかなか伸びません。コールセンターなどのアルバイトをしながら発信を続けていきますが、ジリジリと時間だけが過ぎていきます。

1年半ほど時間がすぎて追い詰められてきたとき、「次でダメだったら料理研究家を諦める。それなら、自分の好きな料理、好きなものに挑戦しよう」と考えたときに思い浮かんだのが、ベトナムでの記憶でした。

「料理研究家になって1年半。人気の料理研究家さんに比べて才能もセンスもないことに気づいたんです。でも夢は諦めたくなかった。それなら1つの食材を毎日作っていけば、その食材についてのプロになれるんじゃないかと」

エダジュンさんは、現地で見た料理や食材にヒントを探します。コブミカンの葉?レモングラスの葉?いろいろと考えたなかで、さまざまな料理に使われていて、ベトナムで毎日食べていた食材、パクチーが思い浮かびます。

パクチーは、ベトナムだけでなく、他の東南アジア、さらにはヨーロッパやアメリカ、中国の料理でも使われている。日本でも最近、スーパーに並ぶようになった。好き嫌いはわかれるかもしれないが、おもしろい食材なんじゃないか。

2015年1月1日、30歳になったばかりのエダジュンさんは、「\あけましておめでとうございます/新しい自分へ」というタイトルでブログを更新します。そこで、それまでテーマだった男子料理を卒業し、パクチーとエスニック料理に「トンがる」ことを宣言します。ついに「パクチーボーイ」の誕生です。

チャンスは必ずくるからこそ、準備は怠らない

ブログにパクチー料理をアップしながら、Instagramにも毎日パクチー料理をアップしていきます。レシピがたまってくると、パクチー料理だけのレシピ本の企画をエダジュンさんは練り始めます。何十社もの出版社宛に企画書をメール。すると、3社から返事がありました。さっそく2社の出版社と会いましたが、残念ながら話はまとまりませんでした。

「なぜわかってくれないんだろう」や「新人には、コネがないとダメなのか」。

そう考えることは誰でもできます。しかしエダジュンさんは、この時決して人のせいにせず、「自分の売り込み方が悪かったからだ」と反省します。

それまでパソコンで書いただけだった企画書を、手描きのイラストと文章をつかって作り直します。そして、最後の3社目に、その手作り企画書を出版社にぶつけたのです。これに編集者が興味を示し、晴れてパクチーオンリーのレシピ本『クセになる! パクチーレシピブック』(2016年、パルコ出版)の出版にこぎつけます。2016年6月、パクチーボーイ誕生から1年半のことでした。

エダジュンさんが、編集部に持ち込んだ手描きの企画書には、表紙のイメージもしっかり描かれていました。出来上がった本と比べてみると、エダジュンさんの最初のイメージが、細部までしっかり制作チームに伝わっていたことがわかります。

 

「どんな人にもチャンスはやってきます。僕は、世間がパクチーブームだったこともありました、運がよかったんです」とエダジュンさんは言います。確かに、グルメサイト「ぐるなび」が毎年発表する「今年の一皿」に、「パクチー料理」が2016年に選ばれていますので、追い風はあったのかもしれません。

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撮影/菊池陽一郎 取材・文/江六前一郎

エダジュン

パクチー料理研究家・管理栄養士。1984年東京生まれ。管理栄養士資格取得後、株式会社スマイルズ入社。Soup Stock Tokyoの本社業務に携わり、2013年に独立。「パクチーボーイ」名義でも活動中。